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神様モドキの異世界旅行  作者: ほえほえ
最果ての 森
27/40

彼の森には 魔物が住み着いていると 云う





 

 荒い息遣い。大地を蹴り草を舞わせ。走る、小さな足音。

 時折後方を振り返りながら。背後から襲い来る、其の存在を気に掛けながら。

 故に目前まで迫った動かぬ樹木に気付かずに。


「っぅわっっ!!?」


 衝突。更に足を取られての転倒。

 擦り剥けた、膝。地についた手に砂利。食い込む。痛い。

 直ぐ後ろに気配。殺気だった。飢えた狼の。振り返って、声を無くす。青ざめる。


 火を扱い、言葉を操っても。所詮人間は牙を持たぬひ弱な生き物。


 獣。自然の中に生きるからこそ鋭い爪も牙も持つ。獲物を狩る為に。


 そして今正に、獣は獲物を追い詰めた。五匹。じりじりと更に距離を詰め跳び掛かからんと姿勢を低く保つ。

 子供は絶望する。死ぬのだと。己は此処で彼等の餌に成るのだと。

 跳躍する獣。一斉に。子供は固く目を瞑り咄嗟に頭を深く抱えた。其の手に摘まれた、草が揺れる。


「――――――っっ!!」


 ――――――死にたくない。死にたくないしにたくないシニタクナイ――――――!!!


 声もなく叫ぶ、胸の内。彼等の爪に牙に掛かるまでの時間が、永遠の様にも感じられる。

 音が。感覚が。世界が。此の命が絶える。






 ――――――その、瞬間。





 

「止めろ」






 飛来した、声。強くはないが良く響く。其れはさながら止まる事無く通り過ぎる風。上から下へと流れ落ちる冷涼な清水。

 死んだ世界が蘇る。風が揺らす枝葉のざわめき。濃い草の香り。己の心音。


 恐る恐る強く閉ざした瞼を開ける。

 初めに見えたのは黒い獣。五匹。

 其れは己の背後に怯えた様な眼差しを向け。そして身を翻すと木々の中へと走り去っていった。


 呆然と。何が起きたか判らぬまま。只、呆然と消えていく影を見送って。

 するとまた、聞こえた楽の様な声。






「――――――おい、子供」






 勢い良く後ろを振り返る。そして其処に在ったものに――――――驚愕した。


 揺れる、烏の様な黒羽根と漆黒の絹糸。

 人成らぬ、美しい生き物。


 ――――――其れはまるで、奇跡の様な。






     ***





「くぉらっっっ!イサ!!」


 そうっとそうっと扉を開けてするりと中へ入った途端、飛んできたのは兄の声。

 イサ、と呼ばれた子供は其の声に躰を硬直させた。

 恐る恐る視線を巡らすと、背高な少年が仁王立ちで腕を組み己を見下ろしている。


「こんな時間まで一体ドコほっつき歩いてたっっ!!暗くなる前には帰ってこいって、いつも言ってるだろ!?」

「ごっ、ごめんなさいっっ!!」


 余りにも其の声が大きくて、イサはびくりと躰を震わせ俯く。

 そんな弟に少年――――――ルイは小さく溜息を吐くが。

 小さな小さな手に握られていた草に、目を瞠る。


「おま……ソレ、セキリソウじゃないか……」


 セキリソウ。根には毒、草は煎じれば毒消しにも熱冷ましにも成る。密林、若しくは森の中の陽の光が余り当たらない場所で良く見られる草。

 見開かれた目は、徐々に険を含んだものへと変わっていき。


「…………まさか、あの森へ入ったんじゃないだろうな?」


 低くなった声音に。瞬間、どきりと胸が鳴る。


「………………入ってないよ」

「本当に?」

「……………………ホントウに。コレは街道の方で見つけたんだ」


 保身の為の、心苦しい嘘。しかしルイは其れにさらりと騙されてくれた。


「街道?おっまそんなトコまで行ってたのかよ」


 道理で帰りが襲い筈だと呆れた様に声を上げて、それから、くしゃくしゃとイサの髪を掻き回す。


「いーか?何があってもあの森には絶対に入るなよ。アソコには、魔物が住み着いているんだからな」

「……うん。わかってる」


 毎度毎度、言い含める様に聞かされる言葉。

 其れに違う、と思わず出そうになった否定の言葉を呑み込んで。形だけ頷き返して。


「ねぇ、お兄ちゃん。魔物って、どんな姿してるんだろうね?」

「ああ?んなの、決まってんだろ。角があったり牙があったり、コウモリみたいな羽なんか生えてたり、毛むくじゃらで獣なのかどーなのか判らねー格好だったり、目なんか血みたいに赤いんだぜきっと。んで、人間を食うんだ」


 つらつらと具体的に例を述べる流伊に、イサはそうなんだ、と呟いて。

 けれど、と思った。






 お兄ちゃんは、そう言うけど。

 でも。でもね。

 ぼくが会ったのは全然そんな魔物なんかじゃなかったよ?


 確かに人じゃなかったけど。角は、あったけど。生えてた羽は真っ黒だったけど。だけど、とても綺麗な羽だったよ?

 目だって、血なんかじゃなくて、まるで夕陽みたいな色で、とてもとても綺麗だったよ?


 狼に襲われそうになってたぼくを助けてくれた。ガチガチに躰が固まっちゃったぼくを抱き上げてくれて、転んで擦り剥いた膝を、治してくれた。

 お日様の匂い、したんだよ。お守りだって、くれたんだよ。コレを持ってたら、もう獣には襲われなくなるって。


 …………ホントに、とてもとても綺麗な、ヒトだったんだよ。






 子供の懐の中には、帰り際彼の生き物が与えてくれた黒い羽根一枚。






     ***






 吹き抜ける風に、異臭。

 濃い緑の香りの中に、其れは途轍もなく浮き立つ。

 冷たい水の匂いでなく、冴えた夜の匂いでもなく。只、闇の香り。

 例えるならば其れは地下深い鉄格子の牢屋。鉄錆と黴と汚物と腐った血と肉とが入り交じった様な。


 高台。相も変わらず、小さくはないが大きくもない枝の上。座り込み背を幹に預け身を支えるでもなく両の腕をだらりと下げて。

 眺め見ていた眼下から視線を上げる。香りの源。己が座る枝の先端へ。


 枝の茶と疎らに吹き出た葉の緑。其処に突如現れ出たのは、濁った緑。

 滑る様な色。ぬらりと不気味に光る鱗。手足のない、長い胴体を枝に巻き付け。

 逆算角形の頭。裂けた口。其処から時折ちらりと覗く舌先も二つに裂けている。昏い、流れ出て時が経ち過ぎてしまった血の様な、赤い目の。


 濁った、蛇。


 其れは音も無く枝の上を這いながら。己より先に枝の上にくつろいでいた相手に近付き。


「ご機嫌麗しゅう、お姫様」


 人成らぬ口で。蛇の舌で。確かに人語を操り。にぃ、と笑った。


 其の蛇に、黒と深緋の色彩を持つ生き物は不快げに眉を顰め。其れからつい、と視線を元に戻す。

 完全成る無視。しかし蛇は其れに気を害する事は無く。逆に笑みを深くして更に這い寄る。


「おや、今日は余り機嫌が宜しくない様だ。昨日とは違って」


 チロチロと舌を出しながら、戯ける様に含み在る様に、言葉を綴って。美しき生き物が変わらず見下ろす先。其方に蛇も視線を向ける。


「いやはやしかし、お姫様も酔狂ですねぇ。目の前にあれだけ大きな人間の集落が在るというのに、喰らいも破壊もせず只見ているだけとは。其れとも、もっと肥え太って壊し頃に成るのを待っているんですか?」

「――――――貴様には関係無い」


 空気が、震えた。其の言葉を美しき生き物が音にした時。其れは恰も張られた琴線。弾かれ響く天上の楽の様な。

 風が葉が鳥が声を潜める。まるで其の音色を僅かでも聞き逃すまいと。


 しかし蛇は、そんなものに興味など持てない。ましてや感動や陶酔など。

 濁った蛇が好むは断末魔。恐怖と苦痛と憎悪と絶望に彩られた。命絶える瞬間の。人の、悲鳴。


「いやぁ、それにしても良い人の集落だ。お姫様に壊す気が無いんでしたら、私にくれませんか、アレ」

「シャズラーズ」


 軽く、しかし真剣に言えば、すかさず真名を呼ばれ躰が硬直する。

 真名は己より力量の強いものから呼ばれれば己を縛る鎖。抗らい難い呪縛。服従の。

 そしてこの美しい生き物は今其れを起こした。見えぬ鎖で蛇を縛り上げた。


「貴様の手出しは決して許さぬ。此の森にも、彼の街にも。二度は言わぬ――――――判ったのならば消えろ」


 其れは絶対命令。力無いものは力在るものの力在る言葉に逆らえない。

 蛇は口惜しく目の前の美し過ぎる存在を睨み上げる。従わざるを得ない屈辱。そして、憎悪。


「………………其れでは、今日はこの辺りで失礼させて頂きますよ。御機嫌よう、お姫様」


 憎々しげに言い捨てて、濁った緑は現れた時と同じ様に突如消えた。空気に溶ける様に。

 彼が巻き付いていた枝には、変色し腐り果てた灰色。其れだけが、確かに其処に彼の蛇がいたと知らしめる。


 枝の上に其の身を預けていた生き物が、其処へ一瞥くれると。

 灰色の枝と其の枝の先と付いた葉が、音も無く炎上し灰も残さず燃え尽きた。






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