閑話・騒ぎのあとを振り返ってみれば
魔獣襲撃から数週間が過ぎた。
そのお陰か、ドコか慌ただしい雰囲気だったシュリスタリアの街は、一先ずの落ち着きを取り戻している。
――――あくまで、一先ず、である。
東商店通りにある宿屋兼酒場、『日溜まりの草原亭』も、その例に漏れず。
「まったく。未だに信じられないよ、あの子が神様だったなんて」
厨房の脇。休憩用として置かれた椅子に座り、料理の仕込みをする夫のトマの横で、ライラは呟く。
「俺だって信じられねぇわ。あののほほんにーちゃんと大食いチビすけが神様と銀天琥だったなんてよ」
するする、芋の皮を剥きながら、トマが返す。
2人が思い出しているのは、とある1人の青年。
今ではシュリスタリアで知らぬ者はおらぬという、恐らく他の街や国にも噂が飛んでいるだろう、有名人の事だ。
――――1万2千年ぶりに地上に降臨した、魔獣殺しの神。
ライラとトマは、その青年と面識がある。何故なら彼はこの宿の客だった。半月近く、宿泊していたのだ。
故に2人は首を傾げる。
あの子のドコが神様なんだい、と。
確かに初見では只者でないと感じた。
細身ではあるが均整のとれた体躯、足の運びは無駄の無い戦士のソレであり。
けれど戦士にしては軽装鎧も纏わず、上質な布で出来た、珍しい形の黒い衣服のみという出で立ち。
唯一武装している、と見れた、腰に差していた剣は今まで見た事も無い細い造り。
何より注目すべきはその容姿。
ねとりと絡み付く蜜の様な、なのに全てを凍らせてしまいそうな。
確かに生きて其処にいるのに、まるで作り物めいた。
魅入ってはいけない。けれど目が離せない。
空恐ろしささえ感じる程の美しさ。
…………なのに中身は、どこかほのぼのとした性格を感じさせる腰の低い青年、だった。
砕けた口調ではあるが基本人には丁寧な言葉遣い。
容姿に恵まれた人間はソレを鼻に掛けて態度が横柄になる者が多いのに、何事においても「ありがとう」「すみません」と気安く頭を下げる。
朝は弱く起こしに行っても「……ん~あとさんじかん……」とかのたまい。
お子様味覚なのか辛いモノがダメで酒も飲めない。
逆に甘いモノは別腹とか言って食事よりもがっつり食べるのには、「身体に悪いだろ」とライラが一度叱った事もあった。
何もないトコロですっ転び、柱に激突する事も良くあったり。
故郷の料理が恋しくなったと、トマに厨房を借りて料理を作っていた事も1度や2度じゃない。
ちなみに彼が初めて作ったのは、はんばーぐ、とかいう肉料理。
あんなやっすい材料でこんな作り方があるのかと、トマは驚いた。しかも美味かった。近々宿のメニューに導入予定でレシピも既にゲットしている。
……というのは取り敢えず置いといて。
何時も肩に張り付けていた銀の子猫も、見目から感じる青年の危険な雰囲気を緩和させていたのだろうが、ソレでも、だ。
見事に見た目を裏切ってくれた青年に、ライラとトマは初め途轍もない脱力を感じたものだ。
そんな(見た目はともかく)ドコにでもいそうな、ちょっと?抜けた青年が、神様。
話に聞く、宝石の翼も強力な魔術を行使している処も見ていないというのに、信じろ、というのが土台無理な話だ、と思うのは間違っているだろうか。
「で。なんでおめぇソレを騎士様に引き渡さなかったんだ?」
「だって、こっそり戻ってくるかも知れないじゃないか」
ちょい、と。トマが包丁の先で指し示したのはライラの手にある洗濯籠。
入っているのは数枚の服と、1本の短剣。そして厚い生地で出来た巾着袋だ。
中には小さいが宝石が5つと、指輪が3個。
あの一件で神様だった事が判明した、子猫連れのちに魔人の奴隷を買ってきた、青年の荷物、である。
つい先程、あの青年がこの宿に泊まっていた事を付き止めた王宮の騎士がやってきて、彼の荷物が残っていたら王宮で保管する、と言ってきた……のだが。
ライラは、「お客の荷物を勝手に触るなんてウチの信用が落ちちまうじゃないかっ!」と啖呵を切って追い返してしまった。何とも豪胆である。
まあソレはさておき。
けれど、青年が戻ってくる確率は最低値。
前払いして貰った宿代の日数もとうに過ぎている。
何時までも一部屋遊ばせておくワケにはいかない、と。掃除ついでに残されていた荷物を引き上げてきたのだが。
「…………戻ってくる可能性は低いと思うがな」
「…………かねぇ」
ボソリと言ったトマの言葉に、ライラも溜息。
巾着袋の中にあったのだ。
走り書きのメモが。
『なんかあったら売っ払っちゃってクダサイぷりーず』
そのメモを見た夫婦が思わず「いやいやいや」と突っ込んだのは、ついさっき。
服は網目が解らないくらいに綺麗で、とても高価な布地で作られていると解る。
短剣も、元ランカーのトマに「実用的に作られたモンだが鑑賞用にも出来るぞコレぁ」とまで言わしめた程のモノだ。
巾着袋に入っていた宝石だって、タダの街人がお目にかかる事など一生なさそうな、綺麗に研磨されたルースである。
指輪に至っては、コレはどんな技術だ一体、と言いたくなる様な、値の張りそうな繊細な細工で出来ていた。
そんな、金貨を山と積み上げなければ手に入れられなさそうなシロモノ、簡単に売れるワケがない。
「戻って来てくれれば嬉しいんだけどねぇ……」
「……無理だろそらぁ。神様じゃなかったとしてもあいつぁ目立つ。面倒が嫌だっつって消えちまったらしいのに、その面倒事しょい込みにわざわざ戻って来るかよ」
「…………はぁ。やっぱり無理かねぇ…………あ、あんた。ちょいと芋の量多いんじゃないかい?」
しゅりしゅりしゅり、と皮を剥いていたてがピタリと止まった。
「あ?…………あー、いや、確か芋のサラダってのがあったろ」
「ああ、マヌちゃんが教えてくれたレシピかい?……でもアレって皮がついたまんま湯がくんじゃなかったかねぇ?」
「…………まあ、何とかなるだろ」
再び手を動かす夫に、ライラはふぅと溜息吐く。
ココ数日、何だか気の抜ける時間が多い。
まあついこの間まで、やれ避難だやれ討伐が終わっただ、更には神様がどうのこうの、しかも神様が泊まっていた宿屋はココですだのと、てんやわんやしていたから仕方ないのかも知れない。
全くとんだ迷惑だ、と。2人思い出しては小さくぼやく。
だが、口で言う程ライラもトマもかの青年の事は嫌っていなかった。
寧ろ、ヒマだから、と言っては壊れた椅子を直してくれたり、知らない料理を教えてくれたりしていた彼に、好意を持っている。
だから、なのだろう。
「戻って、来れば良いのにねぇ」
「…………だと良いがなぁ」
今日も2人は、ドコかのんびり、けれど残念そうに溜息混じりな言葉をもらすのだった。
「でも、もしマヌちゃんが本当に神様ならさ。一体なんの神様だったのかねぇ」
「……だなぁ。マヌフォード、ってなぁ、聞いた事がねぇからなぁ」
「……宝石?」
「…………料理?」
「猫」
「はチビすけだろうがよ」
「だねぇ」