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後日譚・7・最終話

 令和の世界に戻ってきて半年が経った。


 正月には三十年ぶりに母の作ったお雑煮を食べた。鶏肉と青菜の東京風だ。

「……あれ? こんな味だっけ」

 夢にまで見た「幻の味」だったのに。


 飛鳥で見よう見まねで使用人に作らせて長年食べてきたお雑煮もどきが、今は逆にそっちが故郷の味みたいに感じる。

 あの時代の調味料「醤」と同じ味はここにはない。令和時代の食べ物が飛鳥時代にないのは当たり前だったけど、飛鳥時代に当たり前のように食べてたのに今は食べられなかったり貴重になった食べ物も多い。不思議だ。



 大学は、温情により留年は免れそうだ。


 同学年の若者たちを見ても、つい親目線になってしまう。中の人は妻子どころか孫もいる五十歳の飛鳥ジジイだからな。

 こんなんじゃ、この先一生恋愛なんてできないんじゃないだろうか。


 人生ゲームのふりだしに戻った感はあるが、とはいえ僕は、この世界でこれから何十年も生きなきゃならないんだ。この世界の僕の将来について本気で考えなくちゃならない。いつまでも飛鳥の思い出に浸ってる場合じゃないのだ。

 チクチクする心の痛みも、やがて慣れ、消えていくんだ、きっと。



 でもさ、今までずっと僕は貴族だったんだよ? 働かなくても食べてけたんだよ。いや、飛鳥時代でも働いてたけどさ、むちゃくちゃストレス溜まる仕事してたけどさ。遊んで暮らせる貴族からいきなり平民って、ほんと人生ゲーム。


 と思ってると、僕が療養してる間に起業した岡田先輩から、連絡があった。

「春休み、いつから? ちょっとバイトしない? 」

 社長秘書兼経営コンサルタント兼営業担当としてだ。すっかり忘れていたけれど、そう言う話もありました。


 岡田先輩は、ざっくり言うとシステム開発の会社を作った。

「今いるメンバー、エンジニア系じゃん。経営戦略考えたりとか、営業とかやる人間がいないんだよね」


 経営戦略。言ってみれば軍師の仕事だ。情報収集して状況分析、そして対策を立てる。そういった仕事を僕はずっとやってきた。

 天下の大参謀・鎌足が今、令和の世に蘇る! ふはははは……、は〜あ。



 岡田先輩の会社は、古めのビルの三階にあった。

 社員は経理のパートさん含めて四人。人数の割に部屋は広い。入ってすぐのオープンスペースの奥に、パーテーションで仕切られたそれぞれのデスクがある。

 僕はオープンスペースの席に案内された。


「リモートワークでいいっていう話もあったんだけどさ、まあ、セキュリティの問題もあるし、あと、時間? 自分もそうだけど、家で仕事してるとエンドレスにしちゃうじゃない。徹夜とか昼夜逆転とか身体に悪そうな生活。出社して仕事すれば、一応休憩も終業時間も決めて、ある程度は人間らしい生活ができると思ってさ」

「ホワイト企業ですね」

「そうよ、社長として、社員の健康を考えてんのよ。長く続けるためには健康第一でしょ」

 偉いな、先輩。葛城皇子なんて、早朝でも昼食時でも夜間でも、いつでも僕を呼びつけたもん。


 考えたら、葛城皇子、酷かったよな。ライバルは悉く抹殺するし、気に入らない人間は叔父でも岳父でも身内でも平気で殺すし、妊娠させちゃった采女を僕に押し付けて、弟の妻を奪ったり……。

 あれ? 今こうして客観的に見るとムチャクチャ極悪非道の人間じゃない? 当時もわかってたけどさ。今の時代だったら百万回訴訟起こされてるぞ。


 ……でも、楽しかったんだよな。



 岡田先輩は今開発中のシステムについて説明してくれた。

「ええと、これは」

 企画書に書かれた男性名に赤ペンでチェックが入っている。


「ああ、それ? 悠斗君。それがさ」

「俺が昔、家庭教師してた子なんだけど、天才でさ、大学入学してすぐ、どえらいシステムを開発して特許取っちゃったんだよ」

「へえ」

「で、そのシステム、うちの製品に使おうと思って特許の使用契約結ぼうとしたんだけど」

「先月、彼が事故っちゃって記憶喪失になっちゃったわけ」

「はあ? 」

「あとは契約書にサインしてもらうだけの状態なのに、彼の特許がないと先に進めなくなっちゃってさ」

「身体の怪我はたいしたことなくて今は治ったんだけど、頭を強く打ったとかで、記憶喪失になって引きこもりになっちゃったんだって」

「そんな状態じゃ無理かなと思ったんだけど、彼のお母さんに連絡したら、逆に、仕事の話をしたら記憶が戻る手助けになるかもって」

「はあ」



 というわけで、僕は週末、岡田先輩の元教え子、記憶喪失で引きこもりになった天才少年、悠斗君に契約書にサインしてもらうために、岡田先輩にくっついて悠斗君の家に行くことになった。


「横で頷いてるだけでいいからさ。マサトなら年齢近いし、話しやすいかなって」

「スーツじゃなくていいよ。大丈夫、大丈夫、知り合いの家だから。俺も普段と変わらない格好で行くから」



 そして土曜日の午後、岡田先輩と渋谷駅で待ち合わせた。悠斗君の家には渋谷から私鉄に乗って行く。こっちの時代に戻って来た当初はオタオタしてた電車の乗り方も、だいぶ勘を取り戻した。


 結局僕は、白いタートルネックとグレーっぽい織りのジャケットで行くことにした。岡田先輩は普段、Tシャツにダウンの人だから、もしジャケパンでもネクタイはないだろうと思って、僕もスーツはやめた。黒タートルじゃないあたりが初対面の人への爽やかさを演出する。ふはは。


 渋谷駅に向かっていると、先輩からスマホにメッセージが届いた。

「悪い。急に仕事が入った。一人で行ってくれない? ごめん」

 ふぁ? 初対面の人の家に僕ひとりで? 


「ヒカリエに寄って手土産にフィナンシェ買って」

 先輩は店名と品名を送ってきた。

 おい。初めから来る気なかったんじゃねえの? 

 まあ、初対面の人と話すのは慣れっこだから、いっか。



 私鉄の駅から住宅街の道を彼の家に向かう途中、どこかの庭先から梅の香りが漂ってきた。

「軽皇子の難波の庭にも梅の木があったっけ」


 軽皇子が天皇だった頃、大陸から「梅」が持ち込まれ、皇族貴族の間で一大ブームを巻き起こしたのだ。当初は薬として持ち込まれて天皇の宮庭に植えられたんだけど、その後「花の香りもいいじゃん」みたいな感じで広まって、梅見ブームが始まったんだ。


「軽皇子や葛城皇子とよく梅見をしたなあ。懐かしい」


 今でも時々、飛鳥時代の夢を見る。

 最初に転生した時に、令和世界の夢ばかり見ていたように。そして目が覚めた時にガッカリしたように。


 もう一度、彼らに会いたい。

 諦めたはずの夢を、僕は毎夜毎夜、見続けてる。



「申し訳ございません。岡田が急に来られなくなりまして」

 まだ新しめの一戸建ての家で、僕の母より若い感じの女性が迎えた。

「ええ、ご連絡いただいてるわ。こちらこそ、お忙しいのにごめんなさいね」

「いえいえ」

 僕が手土産を渡すと

「あら、XXのフィナンシェ。あいかわらずねえ、岡田くん」

 と嬉しそうだった。

 僕の知らないマダムキラー・岡田の顔を垣間見る。

「土曜なのにお仕事大変ね。なんて、うちの主人も今日仕事。みんな、もっと休めばいいのにね」


 息子が記憶喪失で引きこもりになってるのに悲壮感がなく、明るい人だ。偉いな。つらいこともあるだろうに。

 ……ああ、つい年寄り臭くなってしまう。だって今の僕の中の人は、五十歳の飛鳥時代のおっさんだもん。結婚も子育ても経験済みのおっさんだもん。


 悠斗君は、部屋からほとんど出てこない引きこもり状態だけど、食事もダイニングで一緒に食べるらしいし、話してもただ頷くだけの反応とかそういう感じでも暴力はないらしい。ただ家からは一歩も外に出ない、記憶喪失で大学にも行けないから、この先不安だと言う。


「この調子じゃ大学は卒業できないかもしれないでしょ。就職だって、ねえ。だから、岡田くんと仕事してくれたら、大学行かなくても、あの子も自力で生きていけるんじゃないかってね」

「ええ」


 彼女は二階の彼の部屋へ案内してくれた。

「夫や私が部屋に入るのは拒まないのよ。いろいろ話しかけるんだけど、聞いてるんだか聞こえてないんだか反応がないんだけどね、でもこっちが黙ってちゃいけないと思ってね、うるさいくらい話しかけてるんだけど」


 階段を上がり、彼の部屋のドアをノックする。

「悠斗くん、お客さんなんだけど」

「……」


 彼女がドアを開けると、紺色のトレーナーを着た彼が窓際に椅子を置いて座り、外を向いていた。


「こんな感じで、いつも外を眺めてるの。悠斗くん、こちら、岡田くんの会社の人。ええと」

 彼女のスマホの通知音が鳴る。


「あ、大丈夫ですよ、お母さん。あとは、仕事の話もありますので」

 彼の背中がピクッとしたように見えた。

「ええ、それじゃ、ご用があったら声をかけてくださいね」


 彼の母親が部屋を出た後、僕はドアを閉めると、彼の背中に声をかけた。

「初めまして、岡田さんから紹介されて来ました」

 彼の肩がビクッと大きく震えた。


 流石にいきなり知らない人が訪ねてきたら、そりゃ警戒するわ。

「僕は岡田さんの後輩で」


 彼がガッと振り向いた。

 振り向いた彼のその顔に、僕は目を見張った。


「かま……たり……? 」

 ……え。


 若き日の葛城皇子の顔だった。

「まさか」


 三十年前のあの日、飛鳥寺の蹴鞠大会で僕は十六歳の葛城皇子と出会った。


「葛城皇子……? 」


 若い貴族豪族の中で、葛城皇子は光り輝き、不遜な態度で僕の名を聞いた。

 

「鎌足……本当に鎌足なのか? 」


 傲慢で世間知らずのボンボンだった皇子。

 僕らは一緒に請安先生の塾に通い、帰り道、杏の木陰の大石に座り語り合った。策謀を練り、政策を考え、野に出て狩りをし、囲碁をし花見をし、たくさんの時を一緒に過ごした。


「皇子、僕は」


「鎌足、鎌足、会いたかったぞ」

 彼は涙をボロボロこぼした。


「皇子、僕もです、皇子」

 僕は崩れるように、彼の足元に跪いた。


 無理難題をふっかけられ困ったことも、飽きた女性を押し付けられたことも、僕の計画をぶち壊しにしてくれたことも、皇子には振り回され通しだったけれど、それでも僕は……。


「会いたかったんです」

 僕は喉から声を絞り出した。


 夢でもいいからもう一度会いたいと思っていた、ずっと、ずっと。


「鎌足」

 皇子が椅子を降りて目の前の床に座った。


「我は……、我はそなたに会いたいと願ったら、このようなおかしなところに連れてこられて。もう何が何だかわからぬ。我は、どうしたらいいのだ」

 皇子は涙で顔を濡らし、迷子の子猫のような目をしていた。


「ご安心ください、皇子」

「これからは私が、ずっとお側におります、皇子」

 僕は床に着くほど深く頭を下げた。


「鎌足……」


 僕の涙が床に落ちた。

 何度目だろう。葛城皇子が僕に弱音を吐くのは。


「顔を上げよ、鎌足」


 顔を上げると、葛城皇子の顔が近くにあった。


「もう二度と我から離れるな、鎌足。命令だ」

 葛城皇子らしい不遜な顔で笑った。


「ええ。ええ、離れません。ずっと」


 ああ、葛城皇子に振り回される僕の人生が、また令和の世で始まるのだ。(了)

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