第11話・南淵請安塾
早いもので十月、殿様が亡くなって一年が経った。
旻法師の学堂に行くと、遣唐使の帰国の話で持ちきりだった。
「先日帰国した南淵請安様と高向漢人玄理様、旻法師と一緒に唐へ渡った留学生だったらしいぜ」
「旻法師とはまた違う学問をそれぞれ学んでて、すごい方たちだって旻法師がおっしゃってたよ」
「一度、講義を聞きたいものだなあ」
僕はその日の講義の後、旻法師に呼び止められた。
「既に耳にしていると思うが、拙僧と交友のある南淵請安様と高向玄理様が唐から帰国しました」
「はい」
「高向様は天皇にお仕えする国博士となるけれど、南淵様は、長年の異国の生活と長旅で健康状態が良くないらしく、自宅で静養しながら人に学問を教えようと考えておられる。南淵様は優れたお方です。塾が開いたら、鎌足連も一度足を運んでみるとよいですよ」
高向玄理の名は微かに聞き覚えがあるが、南淵請安は知らない。誰だっけな。もっと真面目に日本史勉強しとけばよかった。
「爺は、南淵請安様と高向漢人玄理様のこと、知ってる? 」
屋敷に帰って爺に聞いてみた。
「ええ、上宮様が任命し、隋、今で言う唐へ渡った留学生のことですね。あの時は、京に住む皆が街道で見送っていました。近頃お戻りになられたとか」
「あの時は……って、まさかと思うけど、爺って、上宮様とお会いしたことがある? 」
「あるわけがないでしょう、私ごときが。ただ一度だけ、馬を走らせる上宮様のお姿を遠くからお見かけしたことはあります。お隠れになった時は皆が嘆きました。殿様は覚えていらっしゃらないので? 」
えっ?
「ああ、まだ赤子の頃でしたか。我はその時はこのお屋敷に仕えておりましたからな」
そういう時代? もしかして、聖徳太子って、この時代の人にとっては結構身近なんだ? じゃあ、山背皇子を次の天皇にしたいって人が多いのも、当たり前?
うわ、軽皇子のライバル、すっごい強力じゃん。大丈夫かよ……。
年が明け、僕は父殿様がやっていた中臣家の正月を継承して弟たちを呼ぼうとしたんだが、彼らは殿様の妾さんの実家で暮らしてるとかで、年末の軽い挨拶だけで、正月には来なかった。静かに過ごせてよかったのだけれど、寂しい正月だった。
その後、旻法師から、南淵請安が京の奥に庵を構え、塾を開いたと聞いた。
縁者だという男が住み込みで身の回りの世話をしていて、数人の弟子が毎日のように集まっては勉強会を開いているらしい。
旻法師に描いてもらった木板の地図を片手に歩く。目印になる建物とかお店がないから、地図が分かりづらい。
京の中心から離れた山の麓、稲淵の棚田に囲まれた道をずんずん登っていくと、古い家屋があった。僕の屋敷から一時間くらい歩いただろうか、なかなか遠かった。
庭で農作業をしている若い男がいる。こいつが住み込みの縁者かな。
「南淵請安先生とお会いしたいのですが」
男が手を止めた。
「どなた様で」
「中臣連鎌足と申します。旻法師の紹介で来ました」
「……お待ちを」
男は奥に消え、少しすると出てきて入り口を指した。
「どうぞ」
愛想のない男だ。
入るとそこは広い土間になっていて、木の箱椅子や床几がいくつか置いてある。土間の横の座敷で、たくさんの本と紙に埋もれて請安先生は膝を崩して座っていた。
僕は土間に立ったまま挨拶した。
「ほう、貴公が中臣連鎌足か」
病人にありがちな神経質そうな顔つきで、気怠そうに僕を見た。
「旻法師の学堂に通っているそうだな。面白いか」
「はい。とても興味深く、勉強させて貰っています」
「貴公はどうして勉強するのだ? 」
「ただ知らないものを知りたいと思うだけです。私は、知識や学問は人生をより豊かにするものだと思っています」
「そうか。……ところで貴公はこの国に満足しているか」
「え……」
「俺は大陸の隋という国に留学した。大陸には学ぶことがたくさんあって、俺は、それまでなんという狭い国で生きていたのかと痛感した。必死で勉強し、そろそろ帰国を願い出ようかと考えていた十年目、あれほど強大だった隋が滅び、新しい国、唐が成立した。わかるか。国が滅びるのだ。隋の皇帝や高官は殺され、国内はずいぶん混乱した。幸い、新しい国でも日本からの留学生を援助する姿勢は変わらず、俺はそのまま唐の官人として勤めることができたが」
うわ、たいへんな人生だな。人のことは言えないけど。
「どんなに栄えた国でも、やがては衰退し、または滅び、新しい国が興る。自分の目で見て自分の身で感じたそれらのこと、書物より何より勉強になった。では、この国は、このまま行くとどうなると思う」
「えっと……、どうもならない、と思います。このまま何の変化もなく」
「そう。俺もそう思う。海の向こうの国々がどんどん変わっていくのに、この国だけはいつまでも変わらず、世界から取り残されていく。こんな国の有様を見るために、俺はこの国へ帰ってきたのか」
「俺が留学生となって海を渡った若い頃、上宮様の下でこの国は大きく変わろうとしていた。上宮様は国というものを造ろうとしていた。それが今はどうだ。あれから三十年も経つのに、この国は俺が国を出た時と何ら変わっておらぬ。上宮様がいなくなって時が止まってしまったようだ。天皇も大臣も、地方の豪族の顔色を窺ってばかりで改革を進めようとしない。誰も何もやらぬ。少しずつ変えようなんて生ぬるいことを言っていてはだめだ。制度改革をするには一気呵成にやらねばならぬのだ。文句を言う者たちもいずれは慣れる。しかし今の天皇にも大臣にもそのような力がない。これが大陸の国ならば、誰かが事を起こすかもしれないのに、この国は呑気だ」
「この国は、呑気……」
「そうだ。皆、今の暮らし方がいかに効率が悪かろうと、それまでのやり方を変えようとしない。改革には労力がいる。その労力を惜しんで、衰退する道を歩んでいることに気づかないのだ。大陸の国だったら、とっくに滅ぼされている」
「俺はこの国を変えるために帰ってきたのだ。そのためにはこの命を捧げるつもりでいる。貴公にはその覚悟はあるか」
「……」
僕は軽皇子を天皇にしようと思っていても、特に世の中を良くしようという心意気があるわけじゃない。石川麻呂や佐伯子麻呂たちがもっといい暮らしをできるように、とは思うけれど、国の改革なんて考えていなかった。
「ふっ、覚悟など持ってなくとも構わぬわ。これからここに通って来るがよい」
請安先生は、柔らかい口調で言った。
どうやら僕は入塾試験に合格したらしい。
その日から僕は、稲渕の請安先生の塾に時間が許す限り通った。
先生の塾は、六日に一度、先生が講義を行い、その後、有志の弟子たちで討論会をする。先生は議論の様子を見ながら、時折意見を言う。先生の講義は誰でも聴講できるが、討論に参加できるのは、僕のように先生に入塾を許された人間だ。
旻法師の塾に通うのは皇族や身分の高い豪族の子弟ばかりだが、ここは中級、いや、下級豪族がメインのようだ。
請安先生は、どこか人を惹きつけるカリスマ性を持っていた。まるで吉田松陰のようだ。僕は幕末の歴史にあまり詳しくないが、吉田松陰くらいは知ってる。幕末の藩士たちが松下村塾に集まり世の中を変えようとした。彼らも、こんな気持ちだったのかもしれない。




