「あなたの推薦状は不要です」と言われたので筆を置いたら、委員会が止まりました
「あなたの推薦状は、不要ですわ」
セレーナ・ヴァイスフェルト侯爵令嬢は、そう言って微笑んだ。
王妃候補選定委員会の執務室。午後の陽が斜めに差す窓際で、私——リーゼル・フォン・エーレンベルクは、ちょうど11人目の推薦状に最後の一文を書き足していたところだった。
「理由をお聞きしても?」
「だって、自分で自分の推薦文を書くのはおかしいでしょう? あなたも候補のひとりだったのだから。ああ、でも——もう候補ではないのだったかしら」
セレーナは首を傾げた。まるで昨日の天気を思い出すような顔で。
私が候補名簿から外されたのは3日前だ。理由は「際立った美点が見当たらない」。選定委員長の直筆だった。
胸の奥で何かが小さく折れる音がした。けれど、手は止めなかった。
11人目の推薦状の末尾に署名を入れ、砂をかけ、丁寧に乾かす。
あと1人。全部で12人分の推薦状を仕上げれば、私の仕事は終わる。
「……承知いたしました」
私の声は、自分で驚くほど平坦だった。
◇
推薦状執筆官。
それが、この3ヶ月間の私の肩書きだった。
王妃候補13名——私を含めて13名だったものが、先日の一次選考で12名に減った。減ったのは、私だ。
けれど推薦状の執筆だけは「あなたの文章が最も正確だから」と、そのまま任された。
つまり、自分を落とした選考委員会のために、自分以外の候補者全員の長所を書き連ねる仕事である。
控えめに言って、地獄だった。
ただ、仕事は仕事だ。
私は12人の候補者それぞれに会い、話を聞き、所作を観察し、周囲の評判を集めた。
エミーリア嬢は、社交の場で誰よりも先に孤立した客人に声をかける人だった。推薦状にはそれを「場の均衡を本能で保つ稀有な気質」と書いた。
カタリーナ嬢は、刺繍よりも領地経営に詳しかった。「実務と品位を両立する、宮廷に必要な知性」と書いた。
ドロテア嬢は少し困った。長所を見つけるのに3日かかった。最終的に「柔軟さという名の忍耐力」とひねり出した時、自分で少し笑ってしまった。
——そういえば最近、街で八百屋の親父を見ても「青果の配置に独自の審美眼を持つ」と内心で推薦文を書きかけている自分がいる。職業病だ。明らかに職業病だ。早く治したい。
12人分の推薦状を仕上げた日、私はすべてを選定委員会の書記官マティアスに渡した。
「リーゼル嬢、本当にこれで最後なんですか」
「ええ。引き継ぎ書も作りました。後任のアンナ嬢に渡してください」
「……あなたがいなくなったら、この委員会の文書は誰が——」
「アンナ嬢が優秀ですから」
嘘だった。
アンナ嬢は良い子だが、先日の練習で候補者の推薦文に「とてもお優しい方です」とだけ書いて提出していた。全員に。12人全員に同じ一文を。マティアスが机に突っ伏していたのを、私は見なかったことにした。
でも、もう私の仕事ではない。
◇
引き継ぎの最終日。
私が執務室の荷物をまとめていると、見知らぬ男が入ってきた。
「推薦状の執筆官は、あなたですか」
長身で、整った顔立ち。紺色の外套に銀の留め具。隣国クラウゼン公爵家の紋章が刺繍されている。
——ヴィルヘルム・フォン・クラウゼン公爵。王妃候補選定の外部審査官。名前と経歴は書類で知っていたが、直接会うのは初めてだった。
「元・執筆官です。本日付で任を解かれましたので」
「では、この12通の推薦状を書いたのは、元・執筆官のあなたで間違いない」
彼は、あの推薦状の束を手にしていた。
私が3ヶ月かけて書いた、12人分の推薦状。すべてに目を通したらしく、角がわずかにめくれていた。
「間違いありません」
「一つ聞きたい。——なぜ、あなたの推薦状がない」
私は一拍、間を置いた。
「候補から外されましたので」
「それは知っている。聞きたいのは、なぜあなたを外したのかではなく、なぜ誰もあなたの推薦状を書かなかったのか、だ」
答えに詰まった。
誰も——書かなかった。候補だった3ヶ月間、私は他の12人の推薦状を書いていた。その間、私の推薦状を書く担当者は、ついに一度も決まらなかった。
セレーナが「不要」と言ったのは、そういうことだった。
最初から、誰も書くつもりがなかったのだ。
「……お答えする立場にありません」
「では、別の質問をする」
ヴィルヘルムは推薦状の束から1通を抜き出した。エミーリア嬢の分だった。
「『場の均衡を本能で保つ稀有な気質』。——この一文で、私はエミーリア嬢がどういう人間か、完全に理解できた」
次に、カタリーナ嬢の分を抜いた。
「『実務と品位を両立する、宮廷に必要な知性』。ここに書かれているのは、カタリーナ嬢の能力だけではない。書き手が、何を知性と定義しているかまで見える」
そこまで読んでいるのか、と思った。
「あなたは12人の長所を書いた。だが推薦状に書かなかったものがある。候補者の欠点だ。書かなかったのではなく、知った上で書かないことを選んだ文章だった。——私は審査官を10年やっているが、こういう推薦状は初めてだ」
ヴィルヘルムは、推薦状の束を丁寧に揃え直した。
「ところで、ドロテア嬢の推薦文にある『柔軟さという名の忍耐力』ですが」
「はい」
「あれは長所ですか」
「……長所です。3日かけて見つけました」
ヴィルヘルムの口元が、かすかに動いた。笑ったのだと気づくまでに2秒かかった。
「3日かけて見つけた長所を、批判ではなく肯定として書ける人間は少ない」
「推薦状ですから。欠点を書く欄はありません」
「それを本気で守れる人間は、もっと少ない」
私は返す言葉を探した。けれど見つからなかった。
——3ヶ月間、12人分の長所を書き続けて、誰にも自分の長所を書いてもらえなかった人間に、この男は何を言おうとしているのだろう。
「推薦状の件でしたら、後任のアンナ嬢に——」
「いや。用があるのはアンナ嬢ではなく、あなただ」
ヴィルヘルムは一歩、近づいた。
「この12通の推薦状には、12人の長所が書かれている。だが同時に、13人目の情報も書かれている。——書き手であるあなた自身の」
心臓が、跳ねた。
「何を長所と見なすか。何を書き、何を書かないか。文の運び方、言葉の選び方、候補者への距離の取り方。すべてが、あなたという人間を映している」
私は、初めて推薦状を他人に読まれたことを、怖いと思った。
「12人分の長所は全部見つけたのに——自分の長所だけがどうしても書けなかった人がいる。それが、私にとっては一番の推薦理由だ」
目の奥が、熱くなった。
泣くわけにはいかない。ここは執務室で、私はまだ引き継ぎ中で、この人は外部審査官で——
「私は推薦状の書き方を、暗記している」
突然、ヴィルヘルムが言った。
「……え?」
「エミーリア嬢の冒頭から、カタリーナ嬢の結語まで。全文だ」
「それは……なぜ」
「業務上、必要だった」
——いや、それは嘘だ。
審査官が推薦状を暗記する業務上の必要性は、絶対にない。絶対に。
私の顔に何か出ていたのだろう。ヴィルヘルムは咳払いを一つして、視線をわずかに逸らした。
「……訂正する。業務上の必要はなかった。ただ、あの文章を書いた人間がどういう人か、知りたかった」
その声は、初めて聞くほど静かだった。
◇
翌日、選定委員会は静かに崩壊した。
後任のアンナ嬢が書き直した推薦文の最高表現が「まあまあ素敵な方だと思います」だったからである。選定委員長は3度読み直し、マティアスに「これは下書きか」と聞いた。マティアスは「完成版です」と答え、委員長は黙った。
セレーナの推薦文に至っては、「お花が好きな方です」の1行だった。
セレーナは花が嫌いだ。花粉症だからだ。
委員会の席で、セレーナは初めて狼狽えた。
「リーゼルを呼び戻しなさい」
「リーゼル嬢は昨日付で退任されました」
マティアスの声は平坦だった。けれどその目は、少しだけ笑っていた。
「——では、新しい推薦状執筆官を」
「この短期間で、あの品質の推薦状を書ける人間は、王国に1人もおりません。少なくとも、私が知る限りでは」
マティアスが言い切った言葉に、委員会室が沈黙した。
リーゼルの名前が、初めて不在として重くなった瞬間だった。
◇
私はそのことを、翌朝届いた手紙で知った。
マティアスからの、短い報告。
『委員会は機能停止中です。セレーナ嬢が「推薦文の書き直し」を命じましたが、アンナ嬢は泣いて帰りました。なお、ヴィルヘルム公爵は「外部審査官として推薦状の品質に意見する権限がある」として、あなたの退任に異議を申し立てています。正式な文書で。推薦状執筆官を推薦する推薦状、というものを初めて見ました。』
私はその手紙を2度読み、1度笑い、1度泣いた。
——推薦状執筆官を推薦する推薦状。
あの人は本当に、何をしているんだろう。
3日後。
私のもとに、1通の推薦状が届いた。
差出人はヴィルヘルム・フォン・クラウゼン。宛先は王妃候補選定委員会。
推薦対象者の欄に、私の名前が書かれていた。
推薦理由はこうだった。
『12人の人間の長所を、誰よりも正確に、誰よりも誠実に書いた。自分の長所だけは見つけられなかったが、それこそが彼女の最大の美点である。人を見る目を持ち、その目で人を傷つけないことを選べる人間は、この国に1人しかいない。——リーゼル・フォン・エーレンベルクを、私は推薦する。王妃候補としてではなく、まず、私の隣にいる人として。』
推薦状の書式は、完璧だった。
3ヶ月間、私が12人分の推薦状で使い続けた書式と、一字一句同じ形式。
——ああ、この人は本当に暗記していたのだ。業務上の必要もなく、ただ私の書いたものを、全部読んで、全部覚えて。
推薦文の末尾に、1行だけ書式を外れた文があった。
『推薦文には書けない言葉がある。——あなたを、私のそばに推薦させてほしい。どうか、この推薦だけは却下しないでください。』
私は筆を取った。
生まれて初めて、自分の返事を自分の言葉で書いた。
推薦状の形式ではなく、ただの——手紙として。
『推薦を受理します。
ただし一つだけ条件があります。
——今度は、私にもあなたの推薦状を書かせてください。
3日もかかりません。たぶん。
リーゼル・フォン・エーレンベルク』
封をする前に、少し迷って、追伸を足した。
『追伸——あなたの長所は、3日ではなく3秒で見つかると思います。
推薦状を暗記するような人は、この世に1人しかいませんから。』
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