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「あなたの推薦状は不要です」と言われたので筆を置いたら、委員会が止まりました

作者: 夢見叶
掲載日:2026/04/11

「あなたの推薦状は、不要ですわ」


 セレーナ・ヴァイスフェルト侯爵令嬢は、そう言って微笑んだ。

 王妃候補選定委員会の執務室。午後の陽が斜めに差す窓際で、私——リーゼル・フォン・エーレンベルクは、ちょうど11人目の推薦状に最後の一文を書き足していたところだった。


「理由をお聞きしても?」

「だって、自分で自分の推薦文を書くのはおかしいでしょう? あなたも候補のひとりだったのだから。ああ、でも——もう候補ではないのだったかしら」


 セレーナは首を傾げた。まるで昨日の天気を思い出すような顔で。

 私が候補名簿から外されたのは3日前だ。理由は「際立った美点が見当たらない」。選定委員長の直筆だった。


 胸の奥で何かが小さく折れる音がした。けれど、手は止めなかった。

 11人目の推薦状の末尾に署名を入れ、砂をかけ、丁寧に乾かす。

 あと1人。全部で12人分の推薦状を仕上げれば、私の仕事は終わる。


「……承知いたしました」


 私の声は、自分で驚くほど平坦だった。



   ◇



 推薦状執筆官。

 それが、この3ヶ月間の私の肩書きだった。


 王妃候補13名——私を含めて13名だったものが、先日の一次選考で12名に減った。減ったのは、私だ。

 けれど推薦状の執筆だけは「あなたの文章が最も正確だから」と、そのまま任された。

 つまり、自分を落とした選考委員会のために、自分以外の候補者全員の長所を書き連ねる仕事である。


 控えめに言って、地獄だった。


 ただ、仕事は仕事だ。

 私は12人の候補者それぞれに会い、話を聞き、所作を観察し、周囲の評判を集めた。


 エミーリア嬢は、社交の場で誰よりも先に孤立した客人に声をかける人だった。推薦状にはそれを「場の均衡を本能で保つ稀有な気質」と書いた。


 カタリーナ嬢は、刺繍よりも領地経営に詳しかった。「実務と品位を両立する、宮廷に必要な知性」と書いた。


 ドロテア嬢は少し困った。長所を見つけるのに3日かかった。最終的に「柔軟さという名の忍耐力」とひねり出した時、自分で少し笑ってしまった。


 ——そういえば最近、街で八百屋の親父を見ても「青果の配置に独自の審美眼を持つ」と内心で推薦文を書きかけている自分がいる。職業病だ。明らかに職業病だ。早く治したい。


 12人分の推薦状を仕上げた日、私はすべてを選定委員会の書記官マティアスに渡した。


「リーゼル嬢、本当にこれで最後なんですか」

「ええ。引き継ぎ書も作りました。後任のアンナ嬢に渡してください」

「……あなたがいなくなったら、この委員会の文書は誰が——」

「アンナ嬢が優秀ですから」


 嘘だった。

 アンナ嬢は良い子だが、先日の練習で候補者の推薦文に「とてもお優しい方です」とだけ書いて提出していた。全員に。12人全員に同じ一文を。マティアスが机に突っ伏していたのを、私は見なかったことにした。


 でも、もう私の仕事ではない。



   ◇



 引き継ぎの最終日。

 私が執務室の荷物をまとめていると、見知らぬ男が入ってきた。


「推薦状の執筆官は、あなたですか」


 長身で、整った顔立ち。紺色の外套に銀の留め具。隣国クラウゼン公爵家の紋章が刺繍されている。

 ——ヴィルヘルム・フォン・クラウゼン公爵。王妃候補選定の外部審査官。名前と経歴は書類で知っていたが、直接会うのは初めてだった。


「元・執筆官です。本日付で任を解かれましたので」

「では、この12通の推薦状を書いたのは、元・執筆官のあなたで間違いない」


 彼は、あの推薦状の束を手にしていた。

 私が3ヶ月かけて書いた、12人分の推薦状。すべてに目を通したらしく、角がわずかにめくれていた。


「間違いありません」

「一つ聞きたい。——なぜ、あなたの推薦状がない」


 私は一拍、間を置いた。


「候補から外されましたので」

「それは知っている。聞きたいのは、なぜあなたを外したのかではなく、なぜ誰もあなたの推薦状を書かなかったのか、だ」


 答えに詰まった。

 誰も——書かなかった。候補だった3ヶ月間、私は他の12人の推薦状を書いていた。その間、私の推薦状を書く担当者は、ついに一度も決まらなかった。

 セレーナが「不要」と言ったのは、そういうことだった。

 最初から、誰も書くつもりがなかったのだ。


「……お答えする立場にありません」

「では、別の質問をする」


 ヴィルヘルムは推薦状の束から1通を抜き出した。エミーリア嬢の分だった。


「『場の均衡を本能で保つ稀有な気質』。——この一文で、私はエミーリア嬢がどういう人間か、完全に理解できた」


 次に、カタリーナ嬢の分を抜いた。


「『実務と品位を両立する、宮廷に必要な知性』。ここに書かれているのは、カタリーナ嬢の能力だけではない。書き手が、何を知性と定義しているかまで見える」


 そこまで読んでいるのか、と思った。


「あなたは12人の長所を書いた。だが推薦状に書かなかったものがある。候補者の欠点だ。書かなかったのではなく、知った上で書かないことを選んだ文章だった。——私は審査官を10年やっているが、こういう推薦状は初めてだ」


 ヴィルヘルムは、推薦状の束を丁寧に揃え直した。


「ところで、ドロテア嬢の推薦文にある『柔軟さという名の忍耐力』ですが」

「はい」

「あれは長所ですか」

「……長所です。3日かけて見つけました」


 ヴィルヘルムの口元が、かすかに動いた。笑ったのだと気づくまでに2秒かかった。


「3日かけて見つけた長所を、批判ではなく肯定として書ける人間は少ない」

「推薦状ですから。欠点を書く欄はありません」

「それを本気で守れる人間は、もっと少ない」


 私は返す言葉を探した。けれど見つからなかった。

 ——3ヶ月間、12人分の長所を書き続けて、誰にも自分の長所を書いてもらえなかった人間に、この男は何を言おうとしているのだろう。


「推薦状の件でしたら、後任のアンナ嬢に——」

「いや。用があるのはアンナ嬢ではなく、あなただ」


 ヴィルヘルムは一歩、近づいた。


「この12通の推薦状には、12人の長所が書かれている。だが同時に、13人目の情報も書かれている。——書き手であるあなた自身の」


 心臓が、跳ねた。


「何を長所と見なすか。何を書き、何を書かないか。文の運び方、言葉の選び方、候補者への距離の取り方。すべてが、あなたという人間を映している」


 私は、初めて推薦状を他人に読まれたことを、怖いと思った。


「12人分の長所は全部見つけたのに——自分の長所だけがどうしても書けなかった人がいる。それが、私にとっては一番の推薦理由だ」


 目の奥が、熱くなった。

 泣くわけにはいかない。ここは執務室で、私はまだ引き継ぎ中で、この人は外部審査官で——


「私は推薦状の書き方を、暗記している」


 突然、ヴィルヘルムが言った。


「……え?」

「エミーリア嬢の冒頭から、カタリーナ嬢の結語まで。全文だ」

「それは……なぜ」

「業務上、必要だった」


 ——いや、それは嘘だ。

 審査官が推薦状を暗記する業務上の必要性は、絶対にない。絶対に。


 私の顔に何か出ていたのだろう。ヴィルヘルムは咳払いを一つして、視線をわずかに逸らした。


「……訂正する。業務上の必要はなかった。ただ、あの文章を書いた人間がどういう人か、知りたかった」


 その声は、初めて聞くほど静かだった。



   ◇



 翌日、選定委員会は静かに崩壊した。

 後任のアンナ嬢が書き直した推薦文の最高表現が「まあまあ素敵な方だと思います」だったからである。選定委員長は3度読み直し、マティアスに「これは下書きか」と聞いた。マティアスは「完成版です」と答え、委員長は黙った。


 セレーナの推薦文に至っては、「お花が好きな方です」の1行だった。

 セレーナは花が嫌いだ。花粉症だからだ。


 委員会の席で、セレーナは初めて狼狽えた。


「リーゼルを呼び戻しなさい」

「リーゼル嬢は昨日付で退任されました」


 マティアスの声は平坦だった。けれどその目は、少しだけ笑っていた。


「——では、新しい推薦状執筆官を」

「この短期間で、あの品質の推薦状を書ける人間は、王国に1人もおりません。少なくとも、私が知る限りでは」


 マティアスが言い切った言葉に、委員会室が沈黙した。

 リーゼルの名前が、初めて不在として重くなった瞬間だった。



   ◇



 私はそのことを、翌朝届いた手紙で知った。

 マティアスからの、短い報告。


『委員会は機能停止中です。セレーナ嬢が「推薦文の書き直し」を命じましたが、アンナ嬢は泣いて帰りました。なお、ヴィルヘルム公爵は「外部審査官として推薦状の品質に意見する権限がある」として、あなたの退任に異議を申し立てています。正式な文書で。推薦状執筆官を推薦する推薦状、というものを初めて見ました。』


 私はその手紙を2度読み、1度笑い、1度泣いた。


 ——推薦状執筆官を推薦する推薦状。

 あの人は本当に、何をしているんだろう。


 3日後。

 私のもとに、1通の推薦状が届いた。

 差出人はヴィルヘルム・フォン・クラウゼン。宛先は王妃候補選定委員会。


 推薦対象者の欄に、私の名前が書かれていた。


 推薦理由はこうだった。


『12人の人間の長所を、誰よりも正確に、誰よりも誠実に書いた。自分の長所だけは見つけられなかったが、それこそが彼女の最大の美点である。人を見る目を持ち、その目で人を傷つけないことを選べる人間は、この国に1人しかいない。——リーゼル・フォン・エーレンベルクを、私は推薦する。王妃候補としてではなく、まず、私の隣にいる人として。』


 推薦状の書式は、完璧だった。

 3ヶ月間、私が12人分の推薦状で使い続けた書式と、一字一句同じ形式。

 ——ああ、この人は本当に暗記していたのだ。業務上の必要もなく、ただ私の書いたものを、全部読んで、全部覚えて。


 推薦文の末尾に、1行だけ書式を外れた文があった。


『推薦文には書けない言葉がある。——あなたを、私のそばに推薦させてほしい。どうか、この推薦だけは却下しないでください。』


 私は筆を取った。

 生まれて初めて、自分の返事を自分の言葉で書いた。

 推薦状の形式ではなく、ただの——手紙として。


『推薦を受理します。

 ただし一つだけ条件があります。

 ——今度は、私にもあなたの推薦状を書かせてください。

 3日もかかりません。たぶん。


          リーゼル・フォン・エーレンベルク』


 封をする前に、少し迷って、追伸を足した。


『追伸——あなたの長所は、3日ではなく3秒で見つかると思います。

 推薦状を暗記するような人は、この世に1人しかいませんから。』

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