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「なんで」
ロダンの途方にくれた声がぽつりと落ちる。背にまたがる俺を首を捻って見上げるその頬に、俺の焼けた肌から滴る血が落ちた。肩を抑える手にしっかりと力を入れながら申し訳ない気持ちになる。
「なんで、避けなかったんですか」
そもそも、ロダンと俺とでは勝利条件が違ったのだ。俺はここでロダンを仕留める必要がなかった。ほんの少しの間だけ、指定の場所に彼を留めて置ければよかった。
「ごめん」
その一言で悟ったのだろう。彼の目に怒りの色がのった。同時に地面に白い魔法陣が浮かび上がる。清廉で、どこまでも清らかな白の魔力。この世で聖女さまだけが持つものだった。
そもそもこの汚染された土地で戦うことができたのは、聖女さまに守られていたから。そして、この戦いを一望できる場所から近衛兵に守られた聖女さまが時を戻す魔法を展開している。
「ああ、嵌められたのは私の方でしたか……」
拘束の下でロダンが項垂れた。聖女さまが「今です!」と合図を下さる。
勇者の剣を魔法陣に突き刺し、名乗りを上げる。答えるように輝きを増す魔法陣に次第に目が眩んでいった。ロダンが何事かを小さく呟く。力の放流に押し流されないように集中する俺にはそれが聞こえなかった。
やがてふわりと体が軽くなると、耳鳴りがするほどの真っ白な世界に一人投げ出された。
最初に戻ってきたのは音だった。木の葉が柔らかい風に吹かれてさわさわと揺れる音。次に匂い、湿った土と青々とした草木の匂いだ。故郷の村で何度も遊びに入った雑木林の記憶が鮮やかに蘇った。うつ伏せで倒れているようで、湿った土が体の下にある感触がする。目を開けると、想像通りの景色が広がっていた。
木漏れ日とはいえ初夏の鋭い光に目が眩み、頭が掻き回されたような混乱に襲われた。起こした体が再び地面に落ちそうになって、咄嗟に腕で支える。
どこだ、ここは。俺は何をしてーー。
その時草を掻き分ける、明らかな第三者の音がした。考えるより先に剣に手をかける。間断なく警戒するのは勇者としての本能だった。
音が近づいてくる。野獣か、盗賊か、はたまたそれ以外か。結果として出てきたものに俺は驚きで目を見開いた。
茂みから出てきたのは、そこら中に葉っぱをくっつけたまだ十にも満たない幼い子供だった。弾丸のように飛び出してきた子供ははっと俺を見上げると、躊躇わず俺の指を掴んだ。指を掴んだ?
「逃げよう! こっちだよ」
引っ張られる力は所詮子供のものだが、大人しくその子の誘導に従う。それにしてもこんな森の中に子供が一人? 不穏な想像が頭をよぎるが、服は丈があっていて髪にも艶がある。大事にされていると一目でわかる姿にすぐにそれは違うと否定する。なら親とはぐれてしまったのだろうか。
「ねえ、君ーー」
聞こうとした瞬間、後ろから殺気が飛んできた。子供を背に庇い、振り向きざまに剣を抜くと魔獣の鋭い牙が当たって高い音が鳴った。
「ひっ」
「大丈夫だよ。この程度の魔獣、俺は絶対に負けない」
宣言通り、次の攻撃をいなすと首と胴を真っ二つに切り伏せた。十秒とかからなかった。
「あ、ありがとうございます。でも、ごめんなさい!」
安心するかと思った子供は、いきなり泣き出してしまった。
「お兄さん、すごい怪我してるのに、ひっく、巻き込んじゃって、うぅ」
泣きながら子供の手が俺の顔付近を彷徨う。それは触れようとして直前で躊躇う動きだった。思わず自分で頬に手をやるとビリっとした痛みが走った。
そうか。直前の戦闘でロダンに焼かれた火傷がまだ癒えていなかった。
「大丈夫だよ。こっちこそびっくりさせちゃってごめんな」
「痛くないんですか?」
「……うん」
嘘ではなかったが子供の顔は晴れなかった。かと思うと、急に笑顔になり俺の手を握った。
「そうだ! 家に来てください。手当てします!」
「うーん、警戒心がなさすぎて心配だなぁ。知らない人についてっちゃダメって教わらなかった?」
「あ、僕ロダンです!」
「え」
風が吹いて、子供の銀の髪が巻き上がった。
「ロダン・アイっていいます。これで知らない人じゃないですね!」
彼の面影の残る子供はそう言って、彼とはまったく違う幸せに満ちた表情で笑った。
次回更新は明日12時になります




