自分の気持ちと著作権
2月21日追加
これはとても誤解されやすい文章だ。
私の知識を「使う」ことと、私の知識を「パクって自分の成果として扱う盗作」は、まったく違う。
顔文字でイメージするとこうなる。
ヽ(^o^)丿<知識を使う
ヽ(あの知識は自分のもの^o^)丿
このとおり、知識を道具として扱う「ヽ(^o^)丿<知識」はまったく問題がない。
でも、私の知識を自分の成果だと思い、その成果を自分の身体に取り込んだとき、私の知識による意識の侵害が始まる。
つまり、パクって「自分のもの」として扱い始める(他人を攻撃するなどに使うなど)と、必ず辛い目に合うという話でした。
私は自分のアイディアをパクられても、
あんまり、何とも思わない。
自分以外には使いこなせないのを知ってるから。
自分の知識やアイディアは、
自分用にカスタマイズされた物だから、
語られていない要素がたくさんある。
だから、私の物をパクった人は、
必ず人生を左右するほどの不幸に出会うのを知ってる。
と、まぁここまでは私の気持ちで、
じゃあ「パクってもいいのか?」と言われたら、
人を不幸にしたくないから、パクって欲しくは無い。
だから、今後は人を守るために、
著作権についての注意書きを加えようと思う。
ものすごく嫌だけど。
自分の創作物に、著作権についての注意書きを加えるのは、「テーマパークを楽しもうとしている人たちに、予め条例や判例を突きつけてルールを意識させて、楽しんでもらう」のと同じで、
曖昧だからこそ楽しめている息抜きの場で、
厳格な法があるからそれを破らないように。
と、(誰かを守るために)法を意識させてしまうと、苦虫を何度も噛むような気持ちで楽しまなければならない。
すごく嫌だ。
自転車のルールとかもさ、4月から厳格になるけど、
今までは曖昧だったから、気楽に乗れたのに、
厳格になると罰金が発生する。
だから、緊張感を持って乗らなきゃいけない。
私は自転車には乗らないから気持ちは分からないけど、きっとルールを意識して緊張感を持つのはストレスなはずだ。
確かに、社会には法があるけど、それを意識させてしまうと、人は何が法に触れるのか分からなくて、ストレスを抱えることになる。
まぁ、仕方ないかぁー。
私が著作物の注意書きを追加したとしても、
「読む」ことにはまったく問題ないから、
安心して読んでほしい。
法律は生き物じゃないから、新しい状況にすぐ適応できない。だから、法が適応できない状況が発生したとき、人の道徳や倫理が社会を守る防波堤になる。
それができなければ、どんどん規制が入って法が私たちを支配するようになる。それでは、楽しくないと私は思う。




