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3/6

3.4

 教室の空気が、少しだけざわついていた。


「……え、また?」


「さつき、今週ずっと休んでない?」


「体調不良って言ってたけど……ちょっと前にほのかちゃんと話してなかった?」


「関係あるの、それ……?」


 ざわつく会話の断片が耳に届くたび、俺の指先が無意識に机の端をトントンと叩いていた。


 南雲さつきが学校に来ていない。今日で三日目だ。


 体調不良だと担任は言っていたけど、どこか腑に落ちない。


 考えたくない。

 でも、ふとよぎる。


 ──あの日、ほのかとさつきが“話していた”こと。

 ──その後、ほのかが言った「心配しないでね」という言葉。

 ──そして今、このタイミング。


 まさか、な。


「ハルくん」


 そんな不安を払うように顔を上げると、目の前にはいつもの笑顔。

 七瀬ほのかが、俺の机に身体を預けて覗き込んでくる。


「ちょっと、いい?」


「……あ、ああ」


 断れるはずがない。

 席を立ち、ほのかと一緒に廊下へ出る。


 他の生徒の視線を少しだけ感じながら、俺たちは空き教室へと足を運んだ。



「ねえ、ハルくん」


 誰もいない教室の中、彼女はぽつりと呟いた。


「最近、元気ないよね」


「……そうか?」


「うん。わかるよ。……だって、ずっと見てるもん」


 視線を合わせたその瞳に、一瞬だけ“熱”が宿ったように見えた。


「もしかして、さつきさんのこと……気にしてる?」


「……いや、別に。何で急に……」


「ふふっ。そっか、ならよかった」


 彼女は胸に手を当て、ホッとしたように微笑む。

 その仕草は完璧に可愛らしくて、違和感なんてなかった——はず、だった。


「ねえ、お願いがあるの。これから、放課後の帰り道……遠回りしてもいい?」


「遠回り?」


「うん。川沿いの道、混んでて嫌なんだよね。できれば、もうちょっと……人が少ない方がいいなって」


「……別に構わないけど」


「やった」


 嬉しそうに笑う彼女の横顔に、なぜか小さなひっかかりが残った。


 “あの道”が嫌なのは、前にさつきと話していた場所だったからじゃないか。


 いや、考えすぎだ。

 たまたまだ。偶然。きっと。



 その夜、帰宅してスマホを開いた。


 《七瀬ほのか・感情パラメータ更新》

 【独占欲:83 → 86】

 【嫉妬:21 → 25】

 【依存:81 → 84】


 操作していないのに、数値が微妙に上がっている。


「……マジで?」


 さつきが姿を見せなくなってから、何もしていない。

 むしろ、ほのかとは“普通に”会話してるだけのはず。


 それなのに、この上昇。


 いや、違う。

 数値じゃない。感情だ。

 彼女が俺に依存し、嫉妬し、縛りつけようとしてる。


 それはつまり、俺の“操作”が効いているということじゃないか?


「よし……いい感じだ」


 思わず独り言が漏れた。


 明日は、【愛情】を+1、【嫉妬】を据え置きにしよう。

 あまり急激に動かして壊れたら困る。


 あくまで、ゆっくり。自然に。

 彼女が“自分から俺に依存するように”。


 そう、これは恋愛じゃない。

 これは調教だ。



 翌朝。

 教室に入ると、隣の席のほのかがこちらを見上げた。


「……おはよう、ハルくん」


「お、おう」


 いつも通りの笑顔。

 なのに、なぜか“何か”が足りないような気がした。


 ──それが、“感情”なのか、“理性”なのか、はっきりとはわからなかったけど。


「昨日さ、家に帰ってからね、アルバム見てたの」


「アルバム?」


「うん。小学校の頃の。懐かしかったよ」


 懐かしそうに話すその声に、ほんの少しの湿度が混ざっていた。


「ハルくんって、昔から変わらないね。真面目で、ちょっと照れ屋で、人に優しくて……」


「……そんなことないけど」


「でも、私にはわかるよ。だって、ずっと見てたから」


 その言葉に、またぞくりと背筋が震えた。


 ずっと見てた。

 どこまで? いつから? どこまで知ってる?


 けれど、口には出せない。


「……ありがとな」


「ううん。……こっちこそ、ありがとう」


 彼女は静かに笑う。その目が、優しく、どこまでも深かった。


 まるで、底の見えない湖のように——。





 廊下を歩いていると、誰かの視線を感じた。


 ちら、と横目で見やる。

 階段の踊り場に立っていたのは、二組の男子、生島。


 俺と目が合うと、彼はふっと視線を逸らし、誰かと何かを話していた。

 その隣には、もう一人の男子。確か、さつきと同じクラスだったはずだ。


 ──なんだよ。別に悪いことしてねえけど。


 目を逸らした瞬間の、妙な“気まずさ”だけが喉に引っかかる。


「ハルくん、どこ見てるの?」


 背後から、ふわりと香る甘い匂い。


 七瀬ほのかが、何もなかったように微笑んでいた。


「……いや、別に」


「ふーん? 最近、よく周りを見るね。私より、気になる?」


「そんなわけないだろ」


「そっか。……よかった」


 彼女の指先が、俺のシャツの袖をつまむ。


 教室の中ならまだしも、ここは廊下だ。周りに人もいる。


「おい、やめ──」


「……嫌?」


 小さく囁かれたその声に、言葉が詰まった。


 甘くて、でも、妙にひやりとした響き。

 優しいはずの笑顔が、まるで“境界を確かめる”ように感じられた。



 その日の放課後。

 帰り道は、彼女の希望通り、人通りの少ないルートを通った。


 住宅街を抜け、工事途中の空き地の横を歩く。

 ちょっと人気がなさすぎて、内心落ち着かない。


「この道、静かでいいね」


「……そうか? ちょっと寂しくないか」


「でも、ハルくんと二人ならいいの。誰にも邪魔されないから」


「……」


「ねえ、誰にも邪魔されたくないって思わない? 大事なものが、自分だけのものでいてくれたら、って」


 彼女の声は静かで、いつも通りだった。


 なのに、その言葉は、喉の奥にねっとりと絡みついた。


 “邪魔されたくない”。

 その言葉を、今このタイミングで使う意味を、考えたくなかった。



 帰宅後、アプリを開く。


 《七瀬ほのか・感情パラメータ更新》


 【独占欲:86 → 88】

 【嫉妬:25 → 30】

 【依存:84 → 86】


 ……また上がっている。


 しかも、俺が操作していないのに。


「……何が……?」


 自動反応なのか? それとも、バグか?


 今までと違って、明らかに数値が“俺の意図しない方向”に進んでいる。


 でも、怖さよりも、まず感じたのは、変な安心感だった。


 ほのかは、俺に執着してくれている。

 それが“自然発生的”なものなら、なおさら理想じゃないか。


 自分から、俺に染まってくれる。

 自分の意思で、俺を欲しがってくれる。


 そう思うと、背中がぞくりと震えるような陶酔感に包まれる。


 もっと、深く。

 もっと、強く。


 彼女を“俺だけのもの”に——



 次の日。

 教室に入ると、数人の女子が俺の方を見て、ひそひそと話しているのが見えた。


「え、マジで?」


「……ほのかちゃんって、ちょっと変わったよね」


「前は誰にでも優しかったのに……」


 聞こえるか聞こえないかの距離で、明らかに俺の方を意識して話している。


 俺は、何も言わず席に座った。


 と、その隣で、ほのかが笑った。


「……何か言われた?」


「別に」


「ふーん……気にしないで。どうでもいい人たちの話なんて」


 その言い方が、ひどく冷たくて。


 俺は、目の前の彼女をまじまじと見つめてしまった。


「……ほのか」


「なに?」


「……いや、なんでもない」


 口にしかけた言葉を飲み込む。


 “お前、前はもっとみんなに優しかったよな”

 そんなこと、言えるわけがなかった。


 なぜなら、今の彼女は——


 俺の望んだ“理想の彼女”そのものだったから。


 誰よりも優しくて、誰よりも俺を見ていて、誰よりも俺を大事にしてくれる。

 だからこそ、怖いくらいに美しく、どこまでも手放せない。



 放課後、アプリの挙動が一瞬だけ乱れた。


 画面の更新時、【嫉妬】の数値が「■■」という表示になり、強制的にリロードされた。


 すぐに正常な画面に戻ったけど、気になることが一つ。


 そのとき、一瞬だけ“別のアバターアイコン”が表示された。


 見覚えのない、黒髪のシルエット。


「……?」


 誰かの設定画面が混線した?

 まさか、別のユーザーが存在してるとか?


 いや、そんなはずはない。

 俺だけの、俺だけのアプリで……。


 考えたくなかった。


 だから、すぐに画面を閉じた。



 その夜。

 彼女からメッセージが届いた。


【七瀬ほのか:ねえ、明日って、空いてる?】


【七瀬ほのか:ふたりきりで、どこか行きたいな】


【七瀬ほのか:……ダメ、かな?】


 まるで、誰かに取られる前に、自分だけのものにしたいかのような誘い。


 俺は、すぐに返信した。


 【行こう。どこでもいい。君と一緒なら】


 そのときの俺には、まだ自分がどちらの手の中にいるのかなんて、考える余地もなかった。


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