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昼休みの教室は、いつもより少し騒がしかった。
俺は弁当のフタを開けたまま、ノートを覗き込んでいる。昨夜ほのかと話していた文法の復習。気になってたところに付箋を貼っておいた。
「ハルくん、お昼はそれだけ? またおにぎり一個だけ?」
「いや、節約だよ。食費って案外馬鹿にならないからな」
「ふーん……えいっ」
突然、俺の弁当箱の中に“何か”が放り込まれた。
それは、ミニトマト。
鮮やかな赤が、ご飯の白にやたら映える。
「おい、なに勝手に!」
「だって、色合いが寂しかったから。彩りって大事なんだよ?」
いつものように、無邪気に笑う七瀬ほのか。
自分の弁当は、雑誌の撮影みたいに美しく詰められている。
俺のことを“可哀想な男子”とでも思ってるのか、最近はちょいちょいおかずを押しつけてくる。
普通ならありがたいけど、最近——
「……なぁ、ほのか」
「なに?」
「この前さ、二組の佐伯にまで弁当分けてただろ」
「あー……うん。ちょっとだけね。風邪気味だったから、野菜足りないかなって思って」
「そういうの、やめといたほうがいいと思うけどな」
「どうして?」
彼女が首をかしげる。
問い返す声は柔らかいけど、なぜかピンと糸が張ったような緊張感がある。
「……いや、お前、誰にでも優しいからさ。誤解されるだろ」
俺はそう言って、手元のトマトを見つめた。
なぜか、さっきより重く感じる。
「ふふ。……でも、ハルくんは誤解しないでしょ?」
「……まあ、な」
「だから大丈夫」
そう言って、彼女はまた笑う。
けれどその目が、少しだけ……少しだけ笑っていないように見えた。
⸻
放課後、帰り支度をしていた俺のスマホが震えた。
通知を開くと、アプリからのシステムログが届いていた。
《七瀬ほのか・感情》
【好意:92 → 93】
【依存:61→ 79】
【嫉妬:12 → 17】
「……あれ?」
嫉妬を今日は操作していない。
俺が触ったのは【好意】を+1しただけ。嫉妬に関してはそのままだったはずだ。
「勝手に、上がった……?」
そんなはずはない。
俺が上げていない数値が、自然に上昇するわけが——
でも、現実に数値は変化していた。
“何か”が彼女の中に芽生えているのかもしれない。
だけど、違和感よりも先に、俺の中に満ちてきたのは、ある種の優越感だった。
そうだ。
それでいい。
“自然に”俺だけを意識し始めたのなら——むしろ上出来じゃないか。
⸻
次の日の昼休み。
今日はちょっとしたテストの返却日。教室が静まりかえっている中、ぽつりと、聞こえてきた。
「……へえ、ハルくんと仲いいんだ?」
「え? あ、うん。なんか数学ちょっと教えてもらって……」
女子同士の小声の会話。声の主は、昨日隣の席に座った三組の南雲さつき。
もう一人は——ほのかの声だった。
でも、それ以上の会話は聞こえなかった。
話しかけるような雰囲気もなかった。
放課後、いつものように一緒に帰る道で、俺はそれとなく訊いてみた。
「今日さ、さつきと話してた?」
「うん、少しだけ。なんか私と話すの、緊張するんだって。かわいいよね」
「そっか……」
「でも、心配しないでね」
不意に、彼女が立ち止まった。
「私、ハルくんの味方だから。他の子と話してても、嫌いになったりしないよ?」
「……え?」
「だって、わかってるもん。ハルくんが、私だけのものだって」
その言葉に、胸がひやりとした。
でも次の瞬間、彼女はくすっと笑って、何事もなかったように歩き出した。
「——ほら、帰ろ?」
手を振って、彼女は前を歩いていく。
……風の中に混ざる甘い香りが、どこか強すぎて、喉の奥が詰まった。
⸻
夜、アプリを開く。
【嫉妬:17 → 21】
【独占欲:80 → 83】
【依存:79 → 81】
ほんの少しずつ、だけど確実に。
彼女は変わり始めている。
でも、それは俺が“そうなるように”育てた結果だ。
……そのはず、なんだけど。
そのとき、通知が一瞬だけ点滅した。
すぐに消えたけど、内容は読み取れなかった。
不具合か? それとも……
胸の奥に、またあのひやりとした感覚が広がる。
でも、それでも手はスマホから離れなかった。
俺は、もう引き返せない。
このアプリを手にしたあの日から、ずっと。