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私だって普通に生きてみたかった

作者: 間川 レイ

ショッピングモールとかに行って。お母さんと手を繋いで買い物に来ている小さな子とかを見ると、ああ、いいなあと思う。そんな無邪気な笑顔でお母さんと手をつなげて。そこにあるのはどこまでも無邪気な笑顔。もし勝手に、自分がどこか別の場所に行こうとしても、肩が外れそうなぐらいの馬鹿力で連れもどされたり、ちょろちょろしてんじゃねーよと怒鳴られたりすることなどないと、心から信じているかのような笑顔。何をしたって、お母さんは許してくれる。そう信じているかのような笑顔。


そう言う笑顔を見るたびに、ああ、いいなあと思うのだ。お母さんの顔も穏やかで。どこにもピリピリした要素なんてない。いつも何かに苛立っているかのような雰囲気を発散させているわけでもない。好き勝手に動き回る我が子に、どことなく困ったような顔をして。それでも決して怒鳴り散らすことなく、穏やかに走っちゃだめよというばかり。そんなお母さんは、家でもきっとそうなのだろう。決して怒鳴ることなく、もちろん手を上げることもなく。


私の家とは大違い。私の家で、母は常に何かに怒っていた。習字を習っているのに字が下手だった、前のピアノの発表会で、簡単な曲なのに間違えた。塾の成績が悪かった。学校の成績が悪かった。学校で友達と喧嘩した。あるいははたまた、一緒に行ったショッピングモールで、母の知り合いに会った時に挨拶の声が小さかった。そんなことで、毎日猛烈に怒っていた。私に恥をかかせて、と。家でどんなしつけをしているのかと思われるじゃない。それが母の口癖だった。ねえ、何でそんな簡単なこともできないの。私そんな難しいこと言ってる?それ、前も言ったよね。そんな言葉たちを何度耳にしたことか。


そう言う言葉たちが、言葉たちであるうちはまだいい。次第にヒートアップすると我が家では物が宙を舞いだす。勢いよく私に向かって。何度おんなじこと言わすんだよ。ほんっとうに頭悪いなあ。びっくりするぐらい頭悪いなあんた。何様のつもり。そんな絶叫にも似た怒鳴り声とともに。時には物を壊したりもする。部屋の掃除をしたので見てくださいと報告に行って、万が一にも母のお眼鏡に構わなければ。舐めてんのかお前は、と怒鳴り。これのどこが掃除なんだよと叫び。こんなに無駄なもんがたくさんあるだろ!と叫びながら片端から私の宝物たちをゴミ袋に突っ込んだ。


おばあちゃんに買ってもらった、あざらしの人形。真っ白でふわふわなのが可愛かった。友達からお土産と言って渡された、子猫の映った絵葉書。水彩画調で書かれた、日向でのんびり寝ている横顔が好きだった。なけなしのお小遣いで買ったシャーロックホームズシリーズ。読まれすぎて膨らんで見えるぐらい読み込んだ。全部全部捨てられた。ゴミばっかじゃねえかという怒鳴り声とともに。ご機嫌取りにと書いた絵や作文だって、そんなことしてる暇あったら勉強しろよとビリビリに破って捨てられたことさえある。


まあ、それでも、物に当たってくれているうちはまだいいのだけれど。本当に怒ると、「もういい、出ていく」と家を出ていったから。そう言うときの母は本当に怖かった。ごめんなさい、ごめんなさいと泣きながら縋りついても、鬱陶しいなあと振り払われ。次こそはうまくやるので許してください、もう二度としませんと土下座してもそんなんで許されると本当に思ってるの、と鼻で笑いながら頭を踏んづけ出ていった。


あるいは私を家の外に追い出すか。インナー一枚でも母は私を追い出した。もう、お前なんかうちの子じゃない。出ていけ。そう絶叫しながら。私の腕をぐいぐい引っ掴んで、家の外に放り出した。文字通り、雪の降る夜に追い出されたこともある。ごめんなさい、ごめんなさい。家に入れてよ、お母さん。そう声がかれるぐらい叫んでも玄関のドアは決して開かず。もしくは開いても、うるっさいな。近所迷惑でしょ、静かにしてと苛立ち交じりに吐き捨てられるぐらい。そんな母の姿しか知らないから。そう言う穏やかな姿のお母さんを見ると、ああ、いいなあとため息をつきたくなる。


それに、大体そういうお母さんに連れられた女の子の髪は、大体、長く、艶やかで。そう言うところを見てもいいなあと思うのだ。羨ましいなあというべきか。肩に届くか届かないかぐらいでバッサリ切っている私とは大違い。私だって髪の毛を伸ばしてみたくはある。それこそ似合うかどうかはさておき、ポニテとか三つ編みとか、編み込みだって試してみたい。でも駄目なのだ。私は髪の毛を伸ばすことができない。髪の毛が肩ぐらいを超えてくると、もっと髪の毛が長かったころ、父にぐいぐい引っ張りまわされたりしていた日のことを思い出すから。痛い。離して。そう叫んでも叫んでも決して放してくれず。むしろ髪をぐいぐい引っ張りながら壁に何度も叩きつけてきた父を。


母を気分屋と定義するなら。父は完璧主義者だった。かつて地元の国立医学部に首席で合格し、首席で卒業して、数々の賞をとってきた経歴がそうさせるのか、自分にできて他人にできないことがあるということが信じられないようだった。そしてもし他人にできないことがあるとすれば、それは単純にその当人の努力不足でしかないと信じているかのようだった。だからこそ将来のためにも、わが子にはなるべく努力して成果を出してほしいし、努力しないことは許さないという、熱い心を持った男だった。それこそ、熱すぎて手を上げることに一切のためらいがないぐらいには。


私は物心ついたころから毎日のように殴られていた。勉強を見るという名目で、私の後ろのベッドに腰掛け。ある程度進んだら父親が採点し、間違えたら何でこんな問題もできないんだと耳をつんざくばかりの大声で怒鳴る。もし以前に似たような問題を見たことがあれば、前もやったとこだろうと絶叫しながら私を殴る。一発で済めばいいほうだ。もしそれが複数回間違えた問題だったり、たまたま回答があっていても、なぜそうなるかをきちんと説明できなければ前も教えただろうが!と叫びながら私の頭をつかんで引っ張る。もしくは力いっぱい殴る。この時に防御しようとしてはいけない。教えてもらっているのになんだその態度は、ともう一発殴られる羽目になるから。虫の居所が悪いとお前舐めてんのかと頭を何度も机に叩きつけられる羽目になる。


でも、一番恐ろしいのは成績が返ってくるとき。模試とか、学校の定期試験とか。順位が悪いのはもちろん怒られるけれど、前回より順位が少しでも落ちていればやっぱり怒られる。学校の試験は9割取れて当たり前、それが何でこんな成績になると。何でお前は勉強しない、何でお前はもっと努力しない、何でお前は頑張らない。そう絶叫しながら何で、何で、何でと問いかけて。答えがないことにますます怒りをたぎらせ、さらに殴る。殴られるのに耐えきれずしゃがみこめば、真面目に話を聞けと胸ぐらをつかんで立ち上がらせて。思わずこの野郎とにらみつければ、親に向かって何だその目は、こんなに俺はお前のことを思って言ってやっているのにと更なる打撃。そんな父親を思い出すから、私は髪を伸ばせずにいる。大学に入って独り暮らしを始めてから、もう10年がたつのに。


大学といえば、懐かしい思い出がある。大学に入って、一人暮らしは始めたはいいものの、父としては独り暮らしであまりに仕送りの額を増やせば、娘はダメ人間になると考えた様だった。今でさえ自分を律せていないのに、と。だから父親は言った。学費は必要に応じて出すし、必要最低限の食費は出す。だがそれ以外は何とかしろ。それも一つの勉強だ。そう言った。そうして許されたのは、学期ごとに送る、前学期の成績証明書とともに送る、なぜこんな成績になったのかの謝罪と次学期の改善策を書いた文。期日通りの学費の納入をお願いする文。そして東京に住まう私に送られる、月々3万円の食費だった。


私の学部はゼミや課外活動にも力を入れていて、到底アルバイトを入れる時間なんてなく。それでいて、教材費や課外活動費などの出費は自分で補う必要があったから、私はいつだって金策に追われていた。それこそ朝は抜いて昼夜は具なしのレトルトカレー、みたいな。あとはなけなしの時間に無理やりバイトを入れて、何とか教材費だけは確保して。課外活動のことも考えれば、新品でそろえる科目は考えざるを得なかったけれど。他の子たちは新品の教材を使っているのに、私のだけは無駄に年季が入っていて。あまり他の子に見られたくなくて。こそこそ隠しながら勉強していたのをよく覚えている。


その間におばあちゃんが亡くなって。遺産の話が持ち上がったのもつかの間、仕送りしてもらってるんだから遺産なんていらないだろと、相続放棄するよう言われたけれど。私としては従うしかなかった。だって断われば、仕送りが止まることなんて火を見るより明らかだったから。そんな毎日。


だから、私は正直、身体を売ろうと思ったこともある。知り合いの知り合いにパパ活をしている女の子がいたから、その伝をつたって、そういう子たちのライングループに入って。だって二時間かそこらで大金が稼げるのは、あまりに魅力的に過ぎたから。それも、ただ寝るだけで。それに初めてではなかったし。中学生のころ、かつて友達だと信じていた子に襲われたこの身体。そんな身体でも需要があるなら使ってしまえ、だなんて。


でも駄目だった。別段、昔のことを思い出して、というわけじゃない。いきなりキスをされて。押し倒されて。まさぐられて、みたいなことを思い出したわけじゃない。ぶちぶち無理矢理カッターシャツをはだけさせられる感触とか、肉もついてない胸を鷲掴みにして揉まれた感触を別に思い出したわけじゃない。肌を這うぬめった生暖かい舌の感触なんて別に思い出したりもしない。


私はただ、怖かったから。それだけの事。どうやったって男の人の力を振り払うことなんてできないのだ、と知ったあの日。またあの日みたいに、お客の気が変わって何か無理強いされたって、きっと私は抗えない。泣いても叫んでも、やめてよお願いだからって頼んでも、誰も助けてくれないことはよく知っているから。それこそ、これ以上キスされないように、目をつぶって顔を背けることぐらいしかできない事なんて。


それに次は、耐えるだけじゃ、すまされないかもしれないから。あの時は、もうどうやっても抗えなくて。泣いても叫んでもひっかこうとしても。私を押さえつける力があまりにも強くって。


あと、私を見るあの子の目。親友だと思っていた、普段のあの子の目つきとはまるで違っていて。あの独特の目が堪らなく怖くって。何というか、私を物としてしか見てないというか。それにしては、やけに熱っぽいあの目とか。上手く言語化するのは難しいけれど、あの目を見た瞬間、身体がすくんでしまった。もうなるようになれと諦めてしまった。勝手に触ってなよ。勝手に揉んでなよ。もういいよ。好きにすれば。みたいな。そうやって諦めて。あの目を見ないで済むように、目を閉じて。いいやろ、とか卑猥な言葉も聞き流して。身体の表面に薄い膜を下ろす感覚で、ぐったりと身体から力を抜いて。父に殴られているときみたいに。何をされても抗う気持ちなんて捨ててしまって。なる様にすればまだ何とか耐えられた。耐えられたし、そうやって受け入れてしまった私には、身体を売るぐらいがちょうどいいのだろうだけれど。


まあ、だからと言って次は、どうなるかわかんないから。どうやったって抗えないんだから。次は、殺されるかもしれない。そう思ったら、とても待ち合わせ場所に行く気にはなれなくって。ただ、それだけの話。


結局私は身体を売らなかった。いろいろお金を工面して、何とか大学だって卒業できた。今は、人並みに働くこともできている。でも、思うのだ。ショッピングモールで出会う子たちは、無邪気なまなざしをお父さんやお母さんに向けていて。時折頭を撫でられたり、抱きしめられたりしている。きっとそれはごくごくありふれた普通の形。


それでも私は思ってしまうのだ。私だって普通の女の子みたいに生きてみたかったな、と。当たり前に恋をして、誰かと添い遂げて生きていく。そうやって普通に生きてみたかったなと、思ってしまうのだ。


でもきっとそれは叶わない。そもそも私は人を好きになれないし、やんちゃな子供をみてうるせーな、殺すぞと思ってしまう自分を痛感するから。かつて私がそう言われたように。私は人を好きになるべきじゃないし、子孫を残すべきでもない。


だからそれはきっと、叶わぬ夢。それでも私は、当たり前に、普通に生きてみたかったなと思うのだ。




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好きです!!主人公の悲痛な叫びがヒタヒタと伝わってきました。二次元みたいな毒親って本当にいるんですよね。主人公は離れられたようで良かったです。幸せになってほしいなぁ。結婚とかじゃなくて、そういう、人を…
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