第97話「過去からの電話〜電話の外にいる人(後編)」
もし過去から未来を変えられるなら。
でもそのかわりに、“誰かの存在”が削られてしまうとしたら。
タケルとアスは、その仕組みに対して、静かな方法で向き合います。
その晩も、ガラケーは鳴った。
画面の青白い点滅が、押入れの壁にひっそり映る。
音は止まらない。
まるで、夜そのものが鳴っているみたいに。
タケルは、手を出せなかった。
また何かが“なかったこと”にされる気がした。
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次の日、アスが来てくれた。
タケルは、いちから話した。神主さんの腕のこと、木村くんのこと、そして電話のこと。
アスは黙って聞いたあと、言った。
「それ、**“レトロアクティブ・インターフェア”**に似てるかも」
「なにそれ?」
「未来から見た過去の“観測のズレ”を、あとから修正するっていう考え方。 ズレた記録を、自然なかたちで“なかったこと”にしてしまう仕組みだよ。」
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その日の夕方。
アスは、古いラジオと使わなくなったWi-Fiルーター、方位磁石、アルミホイルを持ってきた。
「これ、“アースリンク装置”。要は、電磁的に“周波数”を合わせて、
どの時空レイヤーからの信号かを検出・転送できるかもしれない」
「え、それ、ほんとに使えるの?」
「原理は不明。でも、“観測”がルールをつくるってことは、
ぼくらが“受け取らない”と決めれば、それもひとつの答えになるかも」
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夜。
ふたりで組み立てた装置につないだガラケーが、再び鳴った。
イヤホンを分けて耳にあてる。
「……タケルくん? またつながったね」
男の声は、以前のままのやさしい声だった。
でも、どこか弱っているようにも聞こえた。
「きみ、体調どう? もう大丈夫?」
「……うん。でも、いろいろおかしくなった。
木とか、神主さんとか……友だちまで、消えた」
「それは……ぼくのせいだ。ごめん。
変えたかった。でも、“変える”って、存在を削ることなんだよ。
ちょっとずつ、過去のレールを書き換えるたびに、ぼくのいた証拠が消えていくんだ」
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アスがイヤホンを外し、そっと装置のスイッチを切った。
「記録を閉じよう。ぼくたちで“観測”を止めれば、
あの人の存在も、時間のすき間に戻るはず」
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次の日。
神主さんの腕は、ちゃんと両方あった。
木村くんも教室にいて、タケルに「昨日のノート見せて」と声をかけてきた。
「……戻った?」
「たぶんね。観測し直したってこと。
ぼくらが“本当の今”として、もう一度世界を選び直したんだよ」
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タケルはガラケーをアルミでくるんで、電波が届かないお寺の本堂の奥にそっと置いた。
仏壇の隣、ひと気のない棚の下。
もう誰の声も、届かないように。
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その夜。
弟が縁側で、カーテンのすそを見つめていた。
いつものように、小さく笑っていた。
タケルはその隣にすわって、ふとつぶやいた。
「……電話の人、ぼくの名前を言ってた」
アスがとなりで目を閉じて言った。
「名前って、“観測された印”だからね。
きみは、過去からちゃんと観測されてた。だから存在してる。
でも、その人は、自分の名前を世界に残さないことで、
存在そのものを消したんだよ」
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タケルはぽつりと言った。
「……ありがとう。あの人」
“存在を観測される”ことで人はこの世界に現れる。
それがなくなるということは、“誰にも見られない過去”になること。
科学と哲学の静かな怖さを意識し、アスが作る装置や会話にも“現実にある考え方”をつないだお話でした。




