第90話「うしろむきで歩くひと」
ぼくらの目には、時間は前に進んでいるように見える。
朝が来て、昼が来て、夜が来て、また朝になる。
でも、もしも、うしろに向かって時間が進む人がいたら……?
タケルが見た不思議な“あの人”の正体とは。
そして、アスと作った「さかさまスコープ」で見えたものとは?
そのひとを見たのは、駅のホームだった。
お母さんと電車を待っていたら、反対側のホームをスーツを着たサラリーマンが歩いていた。
……いや、歩いているように「見えた」んじゃない。
本当にうしろ向きに歩いていた。
しかも、ぎこちないとか、ふざけてるとかじゃなくて、
まるで“それが普通の歩き方”かのように、背中を前にしてスッ……スッ……と。
「ねぇ、アス……このまえ、逆さまの音の話してたよね?」
次の日、アスにそう言うと、アスは目をキラキラさせて聞いてきた。
「えっ、見たの!? 逆行してる人!? 本当に!?」
「たぶん……いや、絶対。あれは“後ろ向きの人間”だった……と思う。」
アスはしばらく考えてから、こう言った。
「じゃあ、ぼくらとはちがう時間を生きてる人かも。
ほら、“未来から戻ってきてる人”とかさ。
音とか映像を逆に流すと、おかしなことになるでしょ?
その人には、ぼくらの世界が全部“逆さま”に見えてるのかも。」
タケルはその夜、ノートにこう書いた。
> 『ぼくらが前に歩くあいだ、どこかで後ろに歩く人がいる。
その人には、ぼくらの方が“逆さま”に見えてる。
もし、いつか出会ったら、あいさつは“さようなら”になるのかもしれない。』
次の日、タケルとアスは、空き缶とラップの芯、ビー玉とラジオのイヤホンを使って、
**「さかさまスコープ」**というものをつくった。
音がうしろから聞こえて、景色が反対にゆれる“特製スコープ”。
空き缶の中には小さな鏡と、ねじをつけたビー玉が入っていて、
のぞくと、時間がクルクルと巻きもどるように見える。
タケルがスコープをのぞいて、ふとつぶやいた。
「未来って、“うしろ”にあるのかもね。」
アスは笑った。
「じゃあ、あしたはうしろを向いて歩こうか。」
このお話は、映画『TENET』のアイデアをヒントにしました。
時間が逆行する、という考えはとてもむずかしいけれど、
もしもそんな世界があるとしたら、
「出会い」は「さようなら」で、「さようなら」は「出会い」になるかもしれません。
そして、ふだんの生活の中に「逆さまの人」がいるかもしれない……
そんな風に思って駅のホームを見てみたら、
ちょっと不思議で、やさしい世界がのぞけるかもしれませんね。




