第88話「ぼくのなかの だれか」
人は、みんな「ひとりのじぶん」と思って生きているけれど、ほんとうは「そのときの環境」によって、いろんな“ぼく”を使い分けているのかもしれません。
それは“くせ”かもしれないし、“演技”かもしれない。
けれど、それがいつのまにか“ほんとうのぼく”になっていく――。
子どものころから“性格”は決まっていた?
それとも、誰かの言葉が“ぼく”をつくってきた?
そんな問いをめぐる、お話です。
「ぼくのなかの だれか」
アスがいきなり言った。
「タケルはさ、自分のなかに、“知らないぼく”がいると思ったことない?」
「またはじまったよ、アスのややこしい話……」
ぼくは呆れたけど、ちゃんと聞いてあげることにした。そうしないと、ずっと話し続けるからだ。
「このあいだね、夜にぼく、鏡を見ててさ。ふと、こう思ったんだ。“これ、ほんとうに今のぼく?”って」
「えぇ…アスだよ……」
「あのね、ぼくのなかにはいくつか“名前のあるぼくたち”がいる気がするんだ」
「名前があるの?」
アスは小石を蹴った。
「たとえばさ、“しずかなぼく”とか、“大声でしゃべるぼく”。“急に泣きたくなるぼく”もいる。
でね、それぞれ、ちがう部屋に住んでるの。交代で、からだを動かしてる感じ」
「まって、それって……多重人格じゃないの?」
「そう。でもね、べつに病気とかじゃなくて、みんなそうなんじゃないかって思ったの」
「ええっ!? ……いやいや、ぼくはひとりだよ!」
「ほんとに?」
アスはこっちを見てにやっと笑った。
「たとえば、“お母さんの前だけやさしいぼく”とか、“友だちの前で無理してるぼく”とかさ」
「う……」
「それぞれ、“ちがうぼく”じゃない? ちゃんと名前つけたら、みんな“ぼく”じゃないみたいになるよ」
ぼくはちょっと考えた。
たしかに、弟といるときのぼくと、アスといるときのぼくって、なんかちがう。
「でも、それって性格の一部でしょ? そんな……“ぼくのなかに誰かがいる”みたいな……」
アスは、風の吹く中でつぶやいた。
「性格ってさ……たぶん、“親に許された自分”の形なんじゃないかな」
ぼくはふり向いた。
「え?」
「タケルみたいに、やさしくいられるのは、やさしくされてきたから。
ぼくみたいに、勝手なこと言っても大丈夫って思えるのは、たぶん、それで怒られたことがないから」
「……それって、性格じゃなくて、育てられた“くせ”ってこと?」
アスはうなずいた。
「それが“ぼく”になるんだよ。おそろしいよね。自分が“つくってきた自分”じゃないって思ったら」
ぼくはなんだか、急に胸がぎゅっとした。
「……じゃあさ、自分で選んだものがひとつもなかったら……ぼくって、誰なの?」
「うん。たぶん、みんな“誰かに決められたぼく”のまま、生きてるんだよ」
アスは、少しさびしそうに言った。
「ぼくはさ、たまに思うんだ。
今ぼくをしゃべらせてる“ぼく”は、たぶん本当の“ぼく”じゃないんだろうなって」
「え……じゃあ、今のアスは誰?」
アスは少し考えてから、ぼそっと言った。
「“説明したがりのぼく”。たぶんこの“ぼく”がしゃべりたかったんだよ。こういう話」
ぼくはため息をついた。
「ぼくたち、まだ小学生だよ……」
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その夜。
タケルはふと、鏡を見た。
そこに映ったじぶんが、なにか言いかけて、口を閉じた気がした。
まるで、別の“ぼく”が、ずっとそこから、じっとこちらを見ていたような――。
「多重人格」というテーマを通して描いたのは、「自分ってなんだろう?」という問いでした。
大人になるにつれ、自分を“固定”してしまうことがあります。
けれど、自分のなかにはもっとたくさんの“じぶん”がいてもいいのではないでしょうか。
そして、もしそれらが「他人によってつくられた」ものだったとしても、
それを見つめ直し、“あたらしい自分”を選ぶことはできるかもしれません。
ラストの鏡に映った“ぼく”は――
あなたのなかにも、そっと隠れているかもしれません。




