第87話「だれが やったの?」
「みんなで決めよう」は正義なのか?
集団の中で“なにか悪いこと”が起きたとき、誰もが「真実を知りたい」と思います。けれど、そこに“空気”や“感情”が混ざると、話し合いはただの「裁判ごっこ」になってしまうことも。
映画『十二人の怒れる男』では、そんな「多数決では決まらない正しさ」が描かれます。
この話は、小学生という小さな社会の中で起きた、ひとつの“怒れる空気”の物語です。
ある日の教室。
前の席のヒロくんが、先生に言った。
「ノートに、へんなことが書かれてました……」
先生は眉をひそめた。ヒロくんが見せたノートには、鉛筆で書かれた、卑猥な言葉。
「だれが書いたんだ?」
誰も、何も言わなかった。
その日から、ぼくらのクラスは、“だれが書いたか”を話し合う時間がはじまった。
みんながひとりずつ、「ちがいます」と言わされる。
けれど、何人かの子が「怪しい」と言われるようになった。
「字が似てる」「ちょっとニヤニヤしてた」「トイレから戻ってくるのが遅かった」
ぜんぶ、ただの想像だ。
でも、なんとなく、その空気にのまれてしまう。
先生もだんだんイライラして、保護者会までひらかれることになった。
「犯人の子がいるなら、正直に名乗り出てください。みんなを疑わせたまま、過ごすんですか?」
あるお母さんは泣きながらそう言った。
その日の放課後。アスとぼくは、校庭のはしっこで、コンビニのチョコをかじっていた。
「なんだか、ドラマみたいだな……」
ぼくがつぶやくと、アスはチョコを口の中でころがしながら言った。
「このままだと、犯人が出てこないってことが、いちばんこわいよね」
「どうして?」
「だってさ、“見えない敵”って、いちばん人間を団結させるんだよ」
アスはしゃがんで、砂をすくって指ですりながら話す。
「ほんとのことは、ひとつだけど、人の心の中には、十人いれば十通りの“ほんとのこと”があるんだよ」
「十人のほんとのこと……?」
「うん。だから、人は“たぶんこうだ”って話し合って、うそでも納得する答えをつくるんだ。ほんとは、“なにもわからないまま”の方が正しいときもあるのに」
「でも、そんなの、気持ち悪いよ……だれがやったのか、はっきりさせなきゃ」
ぼくがそう言うと、アスはちらっとぼくを見た。
「タケルも、たぶん、怒りたかったんじゃない? 『ゆるせない』って言いたかったんじゃない?」
「……うん。そうかも」
「それって、“正義”っていう気持ちだけどね。それもまた、こわいよ」
「正義が……?」
アスは、ふっと笑って立ち上がった。
「宇宙にはさ、正義とかないから。星がぶつかったって、だれも悪くないし、太陽が人を焼いても、悲しまない」
「……。宇宙って、凄くこわいね…」
「でも、だからきれいなんだよ。だれもだれかを決めつけないから」
その夜。
先生にそっと伝えた子がいたらしい。
ヒロくんが、自分で書いていたのを見た、と。
あの話し合いは、もう終わった。
でも、思い出すと、胸の中に、ひとつの小さな黒い点が残る。
もしかしたら、いちばんこわかったのは――
「だれがやったのか」じゃなくて、
「ぼくらの中に、犯人を決めつけたい気持ち」があったこと、なのかもしれない。
この話には「ほんとうの犯人」は出てきません。
けれど、「怒りたかった子たち」がいて、「決めつけたかった気持ち」があって、
「それを見つめようとしたアス」がいます。
アスが言う「宇宙には正義がない」は、少し冷たいけれど、でもその静けさの中には、
「だれも決めつけない自由」もあるのかもしれません。




