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84話「食卓の哲学者」

ふだん何気なくしている「食べる」という行為。

でも、それをよく見てみると、思ったよりもむずかしくて、まるでパズルのようなルールがかくれているかもしれません。

今回の話は、コンピュータの世界の“ちょっとした問題”から出発して、人と人がどうやって「うまく生きるか」ということを考えていきます。

タケルとアスの食卓から、あなたも少し、じぶんの食べ方や考え方を見つめてみてください。



給食の時間だった。


「うそ……スプーン、あと1本しかないじゃん!」


誰かがそう言って、教室中がざわついた。カレーの日だったから、スプーンがないと食べられない。

みんな、そっと前の人の動きを見ながら、でも誰よりも先にスプーンを取りたくて――

机をカタカタさせながら、落ち着かないまま待っていた。


結局、先生が割りばしを配ってくれておさまったけど、なんだかモヤモヤしたままだった。


放課後、アスの家で一緒にラーメンを食べていたとき、ぼくはその話をした。


「今日の給食、カオスだったよ。スプーン一個足りなくて、みんなで静かにピリピリしてさ」


アスはラーメンをふーふーしながら、にやっと笑った。


「タケル、それ、“食べる哲学者問題”だよ」


「なにそれ」


「ほら、こういうやつ――」


アスは手元の割りばしを両手で持って、空中に円を描いた。


「ここに5人の哲学者が丸く座っててさ。みんな、“考える”と“食べる”を交互にするんだけど、食べるときは左右の箸を両方持たないといけない。でもさ、箸はとなりの人と共有してるから、誰かが1本だけ持ってたら、全員が待つだけになっちゃう」


「……なんか、それ、さっきの給食と同じだ」


「そう。みんなやさしく“ちょっとだけ持って”待ってたら、誰も食べられずにずーっと止まっちゃう。やさしさが止まらせるって、ふしぎでしょ?」


ぼくはうなずいた。


「でもさ、逆に“ぼくが先に!”ってやったらケンカになるよね?」


「うん。だから本当は、順番を決めるとか、話し合うとか、仕組みを作る必要がある。でも――コンピュータの中では、人がいないから、それをアルゴリズムでやるんだよ」


「ラーメン食べるにも、考えることがいるんだね……」


アスは小さく笑った。


「食べるって、生きるってことでしょ。生きるのにも、譲り合いとかタイミングとか、たぶん必要なんだよ。宇宙のなかでは、食べ物も、思考も、かぎられてるから」


ぼくはふと思った。


「でもさ、もし全員が“今は食べない”って考えたら、どうなるの?」


アスは、ラーメンの麺を一口すくってから、言った。


「だれも食べないまま、ずーっと考えてばっかりになるかもね。……それもちょっと、こわいかも」


ラーメンの湯気のむこうに、哲学者たちが静かに並んで、空の茶わんを見つめてる光景が、なぜか頭にうかんだ。



---


◉さいごに


その日から、ぼくは給食のとき「どうぞ」って言ってみることにした。

すぐ返ってこなくてもいい。

でも、誰かが先に食べたあとに、きっと“順番”っていうのは、どこかでぼくのところにも回ってくる――

そんな気がした。



「食べる哲学者問題」は、コンピュータの中で起きる“止まらないようにする工夫”の話だけど、ぼくらの日常にもよくにている。

なにかをゆずったり、まってあげたり、さきに動いたり。

だれかといっしょに生きるって、思っているよりも、考えることがたくさんある。

アスはいつも、ちょっと変だけど、自分のことばで世界を見ている。

そんなアスと、ふつうのタケルの会話から、だれかが「何か」を受け取ってくれたら、うれしいです。


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