第83話「ぼくは どこを信じる?」
見えないものを信じたくなるとき、
ぼくらは「宇宙」や「運命」の言葉にひかれる。
でも――
その信じる先が、自分の輪郭をとかしていくものだったら。
これは、「信じること」と「自分であること」についての、
ちいさな対話の記録。
「これ見て」
アスが差し出したのは、星空の写真が表紙のパンフレットだった。
《宇宙とつながる真の道》《あなたの魂はどこから来たか知っていますか?》
「……それ、なに?」
「クラスのルナのママが、うちに配りに来た。昨日」
アスはそう言って、考えながらこうつぶやいた。
「宇宙とつながるって……どういう意味?」
アスはパンフレットをぱらぱらとめくりながら続けた。
「宇宙に“ほんとうの自分”があるとか、“波動を高める”と目覚めるとか、そんなことが書いてある。でも、こういうの読むとさ、ちょっと思うんだよね」
「なにを?」
「人間って、どうしてこんなに苦しみにあふれているのかなって 」
「……え?」
「だってさ、自分のことが分からなくなったり、毎日意味が見つからなかったりすると、“ぜんぶ宇宙のせい”にしたくなるのかも。見えない何かに理由をくっつけたくなる。ちょっと分かるよ」
ぼくは言った。
「でも、それって……逃げじゃないの?」
アスは少し考えてから言った。
「うん、たぶん。逃げって、悪いことじゃないけど、逃げる先が“自分をなくす場所”だと、帰ってこれなくなるかもしれない」
「帰ってこれなくなるって……」
「たとえばさ、“あなたは特別”って言われて、自分の名前じゃなく“魂の番号”とかで呼ばれたり、“考えずに感じなさい”って言われたりすると、人ってちょっとずつ自分じゃなくなるんだよ」
ぼくは、少し怖くなった。
「……でも、お寺ってさ、ちゃんとしてるよ。仏教はそんな変なこと言わないし」
アスはぼくの顔を見て、にやっとした。
「“ちゃんとしてる”って、なに?」
「え……えっと、昔からあるし……お経とか、お葬式とか……」
「そうだね。でもさ、仏教ももともとは、“宇宙”のことを考えた人の言葉だよ。ただ“苦しみを見つめなさい”って言うだけ。“感じるままに逃げなさい”とは言わない。そこが、ぼくは好き」
「……」
「でもね、どっちが正しいとかは、ぼくは決められない。ただ、なにかを信じるってことは、“どうありたいか”ってことと同じだと思う」
ぼくはパンフレットを見つめながら、つぶやいた。
「じゃあ……“どうなりたいか”が、信じるものを決めるってこと?」
「そう。だから、ほんとうはパンフレットじゃなくて、自分に質問する方が大事なんだよ」
ぼくは、うなずいた。
何を信じるかは、自分が“どうありたいか”を選ぶこと。
だから、パンフレットよりも、自分への問いの方が大切だ。
苦しみから逃げたくなる日もある。
でも、逃げる先に「自分」がいなければ、
きっとその場所は、やがて怖くなる。
信じるとは、自分に帰ってくる道を、ちゃんと残しておくこと。
アスは、そう教えてくれた気がした。




