第11話「夢のぼくと、ねむってるぼく」
「夢の中の“ぼく”」と「ねむっている“ぼく”」は、同時に存在しているのか?
夢で体験したことは“本当に起きた”と言えるのか?
時間はどこまでが現実で、どこからが想像なのか?
——という「夢・意識・時間・自己存在」に関する哲学的な問い。
夜、タケルはなかなか寝つけずに、うちわであおぎながら天井を見つめていた。
そのまま、いつのまにか意識が遠のき……
気がつくと、知らない町の路地を歩いていた。
静かで、どこか懐かしい町だった。
道の先には、アスが立っていた。
「タケル、こっちこっち」
「……なんでアスがいるの?」
「ここ、夢の中だからね」
タケルは驚かなかった。夢の中では、変なことが当たり前に思える。
それから、ふたりはふしぎな図書館をめぐったり、空のない部屋に入ったりした。
アスは笑いながら言った。
「ここでは、時間がちゃんと流れてるんだよ。ぼくたちが見てるかぎり」
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朝。
目が覚めると、タケルは自分のふとんの中にいた。
あの町も、図書館も、全部消えていた。
でも、ふしぎと「なくなった」とは思えなかった。
その日の昼、タケルはアスに話した。
「夢の中のぼくって、今のぼくと別だったのかな」
「どうだろうね。でも、夢のぼくもちゃんと“ぼく”だったよ」
「じゃあ、どこに行っちゃったの?」
「んー……観測が終わったってだけ。きみが目を覚ましたから」
「でも、たしかに“いた”んだよね」
「うん。たしかに、きみは、そこに“いた”んだよ」
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夜、ふとタケルは思った。
寝てるぼくは、なにをしてるんだろう。
夢の中で歩いていたあの“ぼく”は、いま、どこにいるんだろう。
あの夜の時間は……ほんとうに“流れた”んだろうか?
でも、たしかに、あのぼくはあの世界を生きていた。
目を覚ましたら消えてしまうだけで。
タケルは目を閉じ、もう一度、あの町を思い出してみようとした。
そこに、“もうひとりのぼく”が、まだ歩いている気がした。
夢の中での“ぼく”は、朝が来ると消えてしまう。
でも、消えたからといって、「いなかった」と言えるんだろうか。
目覚めたぼくと、夢を見ていたぼく。
ふたつの“ぼく”が、世界のなかにそっと重なっていたような気がした。