第75話「“0”という発明 〜無が生まれた日〜」
数の中にひとつ、奇妙なものがある。それは「0(ゼロ)」――。
「何もない」を示す数字なのに、計算の中に“存在”し、世界を支えている。
そんなふしぎな「無」のお話です。
放課後。タケルの家にアスとアスの弟がやってきた。
「頂き物を本堂に、おねがいね」
母がほほ笑みながらフルーツを差し出した。
タケルはそれを受けとりアスとアスの弟と本堂に向かった。
本堂に入るのはちょっと緊張するけど、今日は不思議と弟も落ち着いていた。
最近弟のブームらしい数字の絵本を熱心に見ながら数字を呟いている。
「ねえタケル、“0”って、なんで“ある”んだと思う?」
唐突にアスが言った。
タケルは、お供え物をひとつずつ並べながら首をかしげる。
「ゼロ? それって……何もないってことじゃないの?」
アスはふしぎそうな目をする。
「“何もない”のに、“数”としてあるって、変じゃない?」
タケルは思い出したようにぽつりと言う。
「昔は“0”っていう数、なかったらしいよ。インドでゼロが“発明”されて、そこから世界の計算は変わったんだって。兄ちゃんが言ってた」
アスはにやっと笑う。
「“無”を発明するなんて、人間ってすごいよね。ないはずのものを“ある”ことにするなんて」
タケルは本堂の奥に目をやる。
そこに並ぶ仏像たち。静かに、何かを語りかけてくるように見える。
「仏教にもあるよ、“空”って考え。“空っぽ”なのに、“すべてがある”って」
アスがうなずく。
「それ、ゼロに似てるね。“なにもない”ってことに気づいたとき、逆に全部が見えてくる」
弟が絵本に書かれた「0」をじっと見つめる。
その瞳に映るのは、果てしなく広がる宇宙のようだった。
「タケル。もし、“何もない”がなかったら、“ある”ことも、気づけなかったのかもね」
「ゼロって、ないようでいて、“なにか”なんだね……」
本堂のろうそくが、ひとつ、ふっと消えた。
タケルはその暗がりを見つめて、ぽつりと言った。
「でも、暗闇ってさ、なんにもないのに、なんだか“満ちてる”って感じる」
アスが微笑む。
「きっとそれが、“無”の正体なんだよ。言葉じゃ言えないけど、ちゃんと“ある”ってこと」
弟がふと顔をあげ、微笑んだ。
0という数字の形が、仏像のひざの円にも似ていることに、タケルはそのとき気づいた。
「ゼロ(0)」は、ただの“なにもない”記号ではありません。
“無”を数として扱うという人間の発明が、科学・哲学・宗教に大きな影響を与えました。
仏教の「空」もまた、“無”の中にすべてが宿るという深い思想です。
この世界を支えている“何もないもの”に、耳をすませてみてください。




