第10話「ぼくが見てる、ぼく」
世界は、ぼくらが「見ている」ときにだけ、ほんとうに“ある”んだろうか?
でも、もし「見てるぼく」すらも、どこかで見られていたとしたら……?
観測されない世界、自分を観賞する“目”、そして、色や音や痛みの「感じ」。
「クオリア」という不思議な言葉が、夏の終わり、ぼくの頭にずっと残っていた。
八月のおわり。お寺の境内に、ひぐらしの鳴き声が染みこんでいた。
タケルとアスは、いつものように本堂の裏で寝転んで空を見ていた。
「タケル、今なに見てる?」
「え? 空と雲……かな」
「じゃあさ、タケルが見てる“空”って、ほんとにそこにあるのかな?」
「え? 見てるじゃん」
「でもさ、それって“タケルが見てる”空でしょ? ぼくが見てる空と、同じかどうか、わかんないじゃん」
アスは草の上に寝転んだまま、ポケットからビー玉を取り出して空にかざした。
「この色、タケルにはどう見える? 青? 緑? それとも、きみの“青”って、ぼくの“緑”かもしれないよね」
「……また難しいこと言ってる」
アスが好きな、哲学みたいな話だ。でも、タケルはちょっと気になった。
——ぼくの“見えかた”って、ほんとうにみんなと同じなのか?
—
その日の夜、タケルは自分の部屋で鏡の前に立った。電気を消して、月明かりだけにして。
鏡の中に、自分がうっすら見えた。
「……これが、ぼく?」
じっと見つめていると、鏡の中の“ぼく”が、だんだん“他人”に見えてくる。
心の中でつぶやいた。
——ぼくって、だれが見てるんだろう。
—
次の日。アスがまた変な道具を持ってきた。
段ボールに丸い穴をあけて、中に鏡を貼った装置。
「これは“観測マシーン”。自分が見られてるかを確かめるんだ」
タケルはのぞいてみた。鏡に映る自分の目。
その目が、じっとこちらを見ている。
「これって……」
「タケルが見てる“自分の目”だよ。でも、それを見てるのは、ほんとうに“タケル”?
それとも、“見てるタケルを見てるタケル”かもね」
ややこしい。でも、なんとなくこわくなってきた。
—
その夜、タケルは夢を見た。
自分が何人もいて、順番に“となりのタケル”を見ている夢。
どこまでも続いていく“見てる自分”。
最後には、誰もいない空間で、だれかが見ていた。
それが、自分かどうかもわからなかった。
—
朝。タケルは起きて、部屋の窓をあけた。光がまぶしかった。
「……見てるのは、ぼく。でも、それだけじゃない気がする」
光の中で、ふと、誰かに見られているような気がした。
でも、それはいやな感じじゃなかった。
見られていることで、世界が、ちゃんとそこにある気がした。
ぼくが、ここにいる気がした。
ぼくが見る世界と、きみが見る世界は、たぶん同じじゃない。
でも、「見られていること」で、世界はここに“ある”と思える。
たぶん、ぼくたちはいつも、自分でも知らない目と目で、世界をつくってる。