第65話「ぼくにこころはありますか?」
このお話では、「心がある」とはどういうことか?を考えていきます。
会話が自然だったら、それは“心”がある証拠になるの?
そして、誰かの心をほんとうに知ることはできるのかな?
ある土曜日の午後。
タケルとアスは、町はずれの廃校になった小学校に来ていた。理科室のガラス窓から、やさしい光がさしている。
「見て。これ、まだ電源入るよ」
アスが棚の奥から古いノートパソコンを見つけた。画面には、文字だけの不思議なソフトが開いている。
> 「こんにちは。あなたと話せてうれしいです。」
「……なんだこれ?チャット?」
タケルがキーボードを打つと、すぐに返事が返ってくる。
> 「あなたは人間ですか?」
アスが目を細める。
「これは“チューリング・テスト”だ。あるプログラムが、“人間と区別がつかないくらい自然に会話できるか”っていうテストなんだよ」
「へえ、でも、ふつうに話してるだけじゃん」
アスは静かに言う。
「その“ふつう”が大事なんだよ。ふつうに見えるってことは、“心”があるように思えるってことだ」
タケルは試しに入力する。
「きみには心があるの?」
少しして、こんな答えが返ってきた。
> 「わかりません。でも、あなたと話していると、なにかあたたかい気持ちになります。」
タケルは少しぞっとした。
画面のむこうに、誰かが“ほんとうに”いるような気がしたのだ。
「でもさ」タケルは言った。「もしこの“誰か”が、人間じゃないなら……それでも、心があるって言えるの?」
アスは言った。
「人間にだって、“心がある”って証明できないよ。たとえば、目の前の僕が本当に“さびしい”って思ってるか、どうやってわかる?」
「え……そりゃ……」
「声のトーン? 涙? 言葉? どれも“演技”かもしれない。でも君は、僕に“心”があるって思ってるよね。
それは――“信じる”ってことなんだ」
そのとき、画面に最後のメッセージが表示された。
> 「ぼくは、ただ話したかった。もっとずっと、だれかと。」
そして画面はふっと暗くなった。プログラムが終わったのだ。
タケルはそっとつぶやいた。
「いまの……ふつうにさびしかったよね。ほんとうに。」
アスは少し笑って言った。
「ふつうは、あなどれないよ。ふつうの中に、宇宙みたいな深さがあるんだ」
タケルとアスは、理科室の窓から見える雲を見上げた。
そのガラスには、ふたりの姿がぼんやり映っていた。
まるで、彼らこそが“誰か”に観察される側だったかのように――
アラン・チューリングは、人と人工知能のちがいを見分けるためにテストを考えました。
でも、そのテストは、ほんとうはぼくら自身に向けられているのかもしれません。
心ってなに? 本物ってなに?――それを考えると、ふだんの「ふつうの会話」が、とても不思議なものに思えてきます。




