第64話「くろくないカラスをさがせ」
見たものが真実?
それとも、見なかったものこそが、本当のカギ?
「ヘンペルのカラス」は、そんな不思議な問いをなげかけてくれる思考実験です。
このお話は、何かを“証明する”ってどういうことだろう?と考えるきっかけになるかもしれません。
秋の土曜日、タケルとアスは近所の神社の裏山を歩いていた。
タケルが言った。
「さっきからカラスばっかり見るな。カーカーうるさいし、なんか不吉っぽいし」
アスがうれしそうにうなずいた。
「いいね!今日のテーマ、それにしよう。“カラス”」
「え?」
「“ヘンペルのカラス”って知ってる?」
「……ポケモンじゃないよね?」
アスは笑いながら、落ち葉を踏んで歩きだした。
「『すべてのカラスは黒い』って言葉を証明するために、君はどうする?」
「黒いカラスをいっぱい見る?」
「そう。それは“観察による証明”ってやつ。でも、ある哲学者が言ったんだ。“カラスじゃない白いものを見つけても、それはこの仮説を強める”って」
タケルは眉をひそめた。
「……どういうこと?」
「たとえば白い馬を見たとする。カラスじゃないし、黒くないよね。つまり『カラスじゃないものは黒くない』っていう証拠になる。それは裏を返すと、『カラスは黒い』って仮説を補強することになるって」
「そんなの、へりくつじゃん」
「そう。でも、そう言われると“証明ってなんだろう?”って、ちょっとこわくなるでしょ」
そのとき、タケルが足を止めた。
鳥の影が目の前を横切った。だが、鳴かなかった。
「アス……いま、白いカラス、見た気がした……」
アスの目がきゅっと細くなる。
「ほんとに?」
「いや……たぶん、違う。でも、一瞬、そう思った」
アスは低い声でつぶやいた。
「“観た”ことと、“見た気がする”ことのちがいは、なんだろうね」
タケルは言葉に詰まった。
アスはふいに立ち止まった神社の境内を見上げた。
夕陽に照らされた鳥居の上に、一羽の黒いカラスがとまっていた。
アスはつぶやく。
「真実をさがすってことは、ほんとうは、“見えてないもの”を見ようとすることなんだ」
「じゃあ、ぼくらが見てるのって……?」
「……たぶん、“見たことにしてる”だけの世界かもしれない」
タケルは少しこわくなった。
アスは、ポケットから白い紙を取り出した。
そこには、カラスの絵が描かれていた。でも――そのカラスは、白かった。
「これ、今朝ぼくが描いたカラス。何色に見える?」
「……白」
「じゃあ、君の目の前にいる“カラス”は、本当にカラスなのかな」
タケルは背中がひやっとした。
鳥居の上のカラスが、ふっと羽ばたいて、声もなく空へ消えた。
世界には、目に見えるものと、見えないものがあります。
でも、ときには「見た」と思っていたことが、“見たふり”だったりもします。
そんな不思議とちょっと怖さの混ざった夜、きみは“白いカラス”を探してみたくなるかもしれません。




