第62話「まちがえた夏」
この話では、“記憶”や“思い出”というテーマに焦点を当てました。
実際の出来事よりも、“どう覚えているか”が、その人にとっての「世界」になる。
まちがえた思い出も、自分の中ではたしかに“生きている”のです。
夏の終わり。セミの声が遠くなり、空には秋の気配がにじんでいた。
タケルの部屋には扇風機の音だけがゆるやかに回っている。
「なあ、アス。思い出って、ほんとに本物かな」
タケルは、机の上の写真立てを見つめながらつぶやいた。
そこには去年の夏、家族で行ったキャンプ場の写真が映っている。
……でも、タケルには奇妙な違和感があった。
そのキャンプに、アスがいたような気がするのだ。
でも、写真にも記録にもアスはいない。タケルの家族も「アス?来てなかったよ」と言う。
「おかしいんだ。ぼくの中の“夏の思い出”には、アスがちゃんといた。
川で遊んで、カレー作って、夜に星を見て……でも、それは全部、ぼくだけの記憶なんだ」
アスは窓辺に座っていた。うっすらと笑って、こう言った。
「それ、まちがえた夏かもね」
「まちがえた夏?」
「うん。頭の中で“こうだったはず”って思い込んでるだけの、もうひとつの夏」
タケルは困ったように笑った。
「そんなのあるの?本当の夏と、ぼくだけの夏?」
「あるよ。だって、“記憶”って、世界の中じゃなくて、ぼくたちの中にあるだけだろ?」
アスは、小さな紙の地図を出して、タケルの前に広げた。
「これ、どこにでも行ける地図。でも、実際に行った場所と、行った“つもり”の場所がある。
タケルの“まちがえた夏”は、地図には書かれてない。でも、たしかに存在してた」
「じゃあさ、それって“うそ”の思い出なの?」
「うそじゃないよ。だって、タケルの心にちゃんと残ってる。
それは“本当だったかどうか”より、ずっと大事なことだと思う」
タケルは、なんだか胸がつまるような気持ちになった。
「でも……じゃあ、本物の世界って、どこにあるの?」
アスは静かに答えた。
「“世界”は、いつもここにある。だけど“世界をどう思い出すか”は、人によって全部ちがう」
「まちがえた思い出も、ぼくだけの世界ってことか……」
「うん。だから、間違ってるからって、消さなくていい。
だれにも理解されなくても、ぼくが知ってる“夏”があるってこと、それが真実だよ」
外では、ヒグラシが一匹だけ鳴いていた。
タケルは立ち上がり、引き出しの奥から小さなノートを取り出した。
「“ぼくだけの夏”も、ちゃんと書いて残しておこう。誰も知らないかもしれないけど、ぼくにはほんとうだったから」
アスはうなずいた。
「それが、“ほんとうの世界”を、自分の中で育てるってことなんじゃないかな」
私たちは過去を完全に思い出せるわけではありません。
だから「思い違い」や「まちがえた記憶」は誰の中にもあります。
でもそれは、単なるミスではなく、あなた自身が作り出した“世界”の一部なのです。
「それでもぼくには、本当だった」――タケルのその気持ちを、大切にしてほしいと思います。




