第60話「せかいは、五分前にできた?」
「五分前に世界ができた」としたら?
この回では、そんな哲学的思考実験「世界五分前仮説」を、アスとタケルのやりとりを通して描いています。
“証明できないこと”と向き合う子どもたちの姿を、やさしく、不思議に、少しこわく。
タケルの家のふとんの上に、アスがごろんと寝転がっていた。お風呂からあがったばかりで、髪が少しだけ湿っている。
「アスくん、お母さんに電話しておいたからね〜」と、タケルの母さんが台所から声をかけてくる。
「ありがとうございまーす」とアスは返事をして、天井をじっと見た。
その横で、タケルもふとんに入っていた。部屋の電気はもう消してあって、障子ごしの月あかりが天井にぼんやりとにじんでいた。
しばらく、ふたりとも黙っていた。
「……ねえ、アス」
「ん?」
「もう、消えないでよ」
アスは少しのあいだ黙っていたけど、やがてことばを選ぶように言った。
「……ぼくが消えたんじゃなくて、きみが“見なくなった”だけかもよ」
タケルは、なにか言いかけて、やめた。
アスは天井を見たまま、ぽつりと続けた。
「この部屋も、ぼくたちの思い出も、ぜんぶ五分前にできたんだったら、きみはどうする?」
「……え?」
「世界五分前仮説っていうんだ。五分前に、きみの記憶も、この部屋も、服もしみも、おばあちゃんのことも、ぜんぶ、誰かがそれっぽく“つくった”って考える。証明できないでしょ?」
「でも……そんなの、信じられないよ。だって、昨日のこともちゃんと覚えてるし、ほっぺのかさぶたもあるし」
「うん。でも、それらが“昨日からあった”って証拠は、きみの記憶の中だけだよ。それも含めて、五分前に用意されてたら?」
「……」
「ぼくがきのういなくなったことだって、ほんとは、今この瞬間の“設定”なのかもしれない」
タケルは寝返りをうって、アスのほうを見た。
「そんなの、こわいじゃん」
「でも、それでもぼくらは“そうだ”と思って動いてる。たとえば、誰かがこの世界を観察していて、どんなに世界がつくりものであっても、きみが“ぼくをさがしてくれた”のは本当だって思いたい。きみがそう思ってるあいだは、ぼくはちゃんとここにいるんだよ」
タケルはしばらく黙って、それからふっと笑った。
「じゃあ、ぼくが“忘れたら”きみはまた消えちゃう?」
「うん。だから忘れないで」
「むずかしいことはよくわかんないけど、アスはアスでいてほしい」
アスは少し目を閉じて、言った。
「きみのその気持ちが、たぶん、ほんとうの“世界のはじまり”なんだと思う」
タケルは目を閉じながら、なにかをつぶやいた。
「……このふとん、五分前にできたんじゃなくて、きのう干したやつだよ。お母さんが言ってた」
アスは声をたてずに笑った。
「それ、たしかに“証拠”かもね」
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夜が静かにふけていく。
ふたりの眠りを、世界の外のだれかが、見守っているかもしれない。
「信じる」ってなんだろう?
タケルは頭では理解できなくても、“忘れたくない”という思いがアスをつなぎとめる――。
仮説や科学や哲学がどれだけすごくても、心の中にある「ほんとうにそう思いたいこと」が、現実をつくっていくのかもしれません。




