第59話「きえたともだち」
このお話では「観測されない存在」について考えてみました。
誰かに忘れられたとき、人は本当に「いない」ことになるのでしょうか?
量子力学では、観測されることで初めて状態が定まる、という考えがあります。
それってちょっと、こわいですよね。
ある朝、教室に入ったタケルは、ふしぎな違和感をおぼえた。
空っぽの席。
誰も気にしていない。
「……アスの席、どうして誰もさわらないんだ?」
タケルがつぶやいても、クラスメイトは不思議そうな顔をするだけだった。
担任の先生もこう言った。
「アス? 誰のこと?」
タケルはしばらく言葉を失った。
だって、昨日まで一緒に帰っていたじゃないか。ノートにもアスの字が残っている。机の裏には、アスの意味不明な図形の落書き。
「観測されないものは、存在しないのと同じになるんだよ」
以前、アスが言っていた。
あのときは笑って流したけど——今、その意味がじわじわと心にしみこむ。
次の日、タケルは学校を休んで、アスと一緒に行った場所をひとつずつまわった。
神社の池のほとり。
ブランコの横にあった古い木。
そして、自分の家の本堂の裏。
どの場所にも、小さな痕跡が残っていた。手紙の切れはしのようなもの。誰にも読めないけれど、タケルには「呼ばれている」感じがした。
夜、お寺の本堂の奥で、タケルは座って目を閉じた。
静かだった。どこまでも深い沈黙の中。
そのとき、アスの声が心にひびいた。
「ぼくは、誰にも観測されなくなって、だんだん薄くなった。
でも、きみが思い出してくれた。
だから……ぼくは、ここにいる。」
目を開けると、そこにアスが立っていた。
少し透けて見えるような、不思議な感じだったけれど、たしかにそこにいた。
タケルは静かに言った。
「ぼくは、きみを見てる。」
アスはにっこり笑った。
「存在っていうのは、“そこにある”ことじゃなく、“思い出される”ことなのかもしれないね。」
ふたりの間に、また風が吹いた。
秋の夜の空は高く、やさしく、すこしこわかった。
アスが消えたのか、タケルの心が忘れようとしていたのか、それはわかりません。
でも、私たちは誰かを思い出すことで、存在の糸を手繰り寄せているのかもしれません。
思い出すこと、観測すること、それが「生きている」ということにつながるのだとしたら——
世界は思ったより、やさしくて、こわいものです。




