第58話「すべてが書いてあるノート」
未来がすでに書かれていたら、ぼくらはどうするだろう。
それを変えようとするのか。
それとも、ただ読み進めてしまうのか。
これは、“読むことで動き出す”物語。
お寺の境内で、落ち葉を掃いていた。
もうすぐ夕方。あたりはほんのり金色に染まりはじめていた。
本堂の裏手、小さな祠の下に、奇妙なノートが落ちていた。
表紙は黒く、名前もタイトルも書かれていない。
タケルは不思議に思い、そっと開いてみた。
「20××年6月、タケルはこのノートを拾い、ここを読む。」
「今日?……なんで、わかるの?」
めくっていくと、昨日のことも、先週のことも、まるで自分の心の声まで書かれていた。
そして、最後のページには――
> 「一週間後、アスは消える。」
「え?」
そのとき、ちょうど門の向こうからアスが現れた。
黒いリュックを背負って、いつもより真剣な表情をしている。
「……お寺って、静かでいいね。こういう場所のほうが、“記録”は残りやすい気がする。」
「え?」
タケルが問い返すより早く、アスはノートに目を留めた。
「それ……“すべてが書かれているノート”だね。アカシックレコードってやつだよ。」
「アカ……なに?」
アスは境内の縁に腰をおろした。
「宇宙にはね、すべての出来事、思考、感情、未来の可能性までが記録されてるって考えがあるんだ。
むかしの偉人、たとえばニコラ・テスラなんかも、夢の中でそこにアクセスしてたって説がある。」
「夢の中で……未来を読んだってこと?」
「うん。テスラが思いついた発明のいくつかは、まだこの時代にも理解されてないものばかりだよ。
“見たこともないもの”をどうして描けたかって、不思議だと思わない?」
タケルは黙ってうなずいた。
アスはノートを開いたまま、言った。
「でもさ、すべてが記録されてるってことは、“自由に選べる”こととは、反対かもしれない。」
「……僕の未来も決まってるのかな。」
「それは、“読む人”によるんだよ。仏教にもあるでしょ?“縁”の積み重ねで未来が決まるって。でも、縁はいつでも変えられる。」
タケルはそっとノートを閉じた。
「じゃあ、アスが“消える”って書いてあったけど……それも変えられる?」
アスは少しだけ笑って、境内の風を見つめた。
「たとえば、その“ノート”自体が、記録じゃなくて“選ばせる装置”だったら?」
「え?」
「見ることで、君の“未来の観測”が決まっていく。量子力学みたいに、観測されたことで確定する……みたいな。」
タケルは黙ってうつむいた。
「アス、本当に……いなくなったり、しないよね?」
「わかんない。でも、ひとつだけ知ってる。
“すべてが記されている”って言葉が、本当なら――きっと、僕がこれを手に取ることも、ここでこうして話すことも、すでに書かれていた。」
その時、どこからともなく"おりん"の音がチ〜ンと鳴った。
タケルはハッとした。アスが、もういなかった。
ノートだけが地面に落ちていて、開かれたページにはこう書かれていた。
「その日を境に、アスは姿を見せなくなった。
けれど彼の声は、タケルが眠るたび、夢のなかで――記録のなかで――聞こえてくるようになった。」
タケルはそっとノートを閉じ、境内の灯籠の奥にしまった。
風が吹き抜け、落ち葉がひらりと舞った。
アスは、本当に「書かれた未来」を生きていたのか。
それとも、自らその“記録”に触れてしまったせいなのか――
ノートは、静かにそこにある。
誰かがまた、読むまで。
アスが消えたのは、ノートに書かれていたから?
それとも、タケルがそれを読んだから?
未来と自由のあいだで、ぼくらは今日も選びつづけている。
ノートは、まだそこにある。




