第56話「もう一人ぼくがいたら?」
ぼくはふつうの小学生だと思う。
だけどときどき、「ふつう」ってなんだろうって思うんだ。
たとえばさ、もし今、
「べつのぼく」がどこかにいて、ちがう選択をしていたら――
その「ぼく」は、ぼくじゃないのかな?
ある朝。
タケルは目を覚ますと、なぜか着ていた服がちょっとだけ違っていた。
いや、それだけじゃない。歯ブラシの色も、筆箱の中身も――
ほんの少しだけ、いつもの日常と“ズレて”いる。
学校へ行くと、アスがタケルの顔をじっと見て言った。
「タケル、なんかちがう」
「え、なにが?」
「“きみ”のなかに、もうひとり“きみ”がいる気がする」
アスは何でもないように言ったが、タケルはゾクリとした。
実は朝から、ずっと感じていたのだ。
自分が「自分でないような」、でも「たしかに自分であるような」――ふたつの感覚。
その夜。
タケルはふと、夢の中で、もう一人の自分と出会う。
その「もう一人のタケル」は、こんなことを言った。
「きみが選ばなかった世界は、ちゃんと“ある”んだよ。
そして、その世界には、きみがいる」
「じゃあ… ぼくは、いっぱいいるの?」
「ううん。“ぼく”なんて、もともとどこにもいないんだ。
ただ、いろんな“流れ”の中で、“そう思ってる何か”があるだけ」
タケルは少し泣きそうになった。
「じゃあ、本当の“ぼく”って、いないの?」
もう一人のタケルは笑った。
「いないからこそ、きみは自由なんだよ」
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終わりに
翌朝、タケルは目を覚ます。
服も、筆箱も、ちゃんといつものものに戻っていた。
でも、ふと鏡の中の自分に、こう声をかけた。
「きみは、きょう、どうする?」
鏡の中のタケルは、何も言わずに、にっこり笑った。
兄ちゃんが前に言ってたんだ。
「ほんとうの“自分”っていうのは、にぎりしめたら消えちゃうもんだよ。
だから、手放してごらん。そしたら“いま”が見える」
ぼくは、いまここにいる。
でも、もしかしたらどこかで、ちがうぼくも、
ちゃんと生きているのかもしれないな。




