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第55話「ぞうきくじ」

「もし、だれかの命を助けるために、知らない人の命をくじ引きで選ぶとしたら?」

そんな話を聞いたとき、ぼくはなんだかぞくっとした。

それって正しいの? でも助かる人がいるなら、まちがいじゃないの?


アスは、こういうややこしい話になると、なぜかうれしそうな顔をする。

ぼくたちはその日、「命の重さ」について考える不思議な体験をした。

その日、タケルの学校では、いつもとちがう道徳の授業があった。


「みなさん、もし、ひとりの人を選べば、五人の命が助かるとしたら、どうしますか?」


先生の声に、教室が静まりかえった。黒板には「臓器くじ」という文字が書かれている。


「ある国の“作り話”なんだけどね。健康な人の中から、くじで一人を選んで、その人の臓器を使って病気の人たちを助けるっていう、そんな制度があるってお話」


タケルは思わず、隣の席のアスの顔を見た。アスはまっすぐ黒板を見つめたまま、眉ひとつ動かさない。


クラスのあちこちから声が上がった。 「そんなの絶対イヤ!」 「でも五人助かるんでしょ?」 「くじって…運が悪いってだけで死ぬの?」


その日は一日中、その話が頭から離れなかった。


ーーー


放課後、タケルとアスは帰り道の神社の石段に座り込んでいた。


「ぼく、なんかモヤモヤする。助けるって、そんなふうに決めていいことなのかな…」


アスは空を見上げたまま言った。 「たすけるって、いいことに見えるけど、ほんとうに“正しい”ってこととはちがうのかもね」


「でも五人が生きられるなら…」 「じゃあ、五百人のためなら? 五万人のためなら? 数をふやせば、正しくなる?」


タケルは答えられなかった。


ーーー


その夜、タケルは不思議な夢を見た。


白い部屋。壁には「臓器くじセンター」と書かれている。 大人も子どもも、静かに列に並んでいた。


「つぎの当選者は、たけるさん。あなたの肺で、三人が助かります」


前に立っていた人がふり返って言った。 「だれかを助けるって、ほんとうはきれいなことばだけど、自分がいなくなっていいって話とは、ちがうんだよ」


タケルはふるえていた。


ーーー


目がさめると、まだ外は暗かった。 ふとんの中、タケルは自分の胸に手を当ててみた。 どくん、どくんと動いている心臓。


朝、アスに会うと、タケルは夢の話をした。


「怖かったよ。でも…そのとき、自分の心臓が“自分のもの”って、はじめて思った」


アスはうなずいて言った。 「だれかのために何かをするのって、ほんとうは“えらいこと”じゃなくて、“こわいこと”だと思う」


「正しいことって、こわいこと?」 「うん。間違えたときに気づかないくらい、まっすぐな顔してるから」


二人はしばらく無言で歩いた。


そしてタケルは、ぽつりと言った。 「ぼく、自分の体も心も、使いきりたい。誰かにあげるんじゃなくて、最後まで自分で使いたい」


アスはにっこり笑って言った。 「それ、いちばんいい“使い道”かもね」

「臓器くじ」は、ほんとうにある“思考実験”をもとにしたお話です。

ある人を助けるために、別の誰かを犠牲にしてもいいのか?

その「別の誰か」が、自分だったら? 友だちだったら? 見ず知らずの人だったら?


人はみんな、「助けたい」と思うし、「助かりたい」とも思う。

でもその「やさしさ」は、どこまで通じるんだろう。

そして、「選ぶ」ってことの重さは、きっとぼくたちが思ってるよりも、ずっと深い。


アスが言っていたように、きれいな理屈だけじゃ、ほんとうのことは見えないのかもしれない。

でも、それでも考え続けることが、「生きてる」ってことなのかもしれない。

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