第54話「スワップマン」
このお話は、「スワップマン」という名前の、ふしぎな存在からはじまります。
それは、すれちがうように、あるいはふとしたすきまに入りこむように――
だれかと、なにかを、すこしだけ“入れかえて”しまうもの。
でも、ほんとうに入れかわっているのは、外がわでしょうか?
それとも、内がわ――つまり、「自分のなか」かもしれない。
ぼくたちは毎日、いろんな人や言葉や感情にふれながら、
気づかないうちに、少しずつ「ちがう自分」になっているのかもしれません。
このお話は、「自分って、ほんとうに自分なのか?」という、
静かで深い問いをめぐる、小さな哲学ノートです。
秋の夕方、タケルとアスはお寺の庭でけん玉をしていた。
「……スワップマンが来るよ」
ふいにアスがつぶやいた。
「え? なにそれ?」
タケルが聞いても、アスは空のほうをじっと見ているだけだった。
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その夜、タケルは本堂の掃除をしていた。アスはもう帰ったはずだったのに、ふらりと戻ってきた。
「親に電話したら、今日はタケルんちで夕飯食べてもいいって」
アスはそう言って、ちゃっかりほうきを持った。
掃除をしながらタケルが聞いた。
「スワップマンってさ、さっき言ってたやつ、なに?」
アスはちょっと考えてから言った。
「スワップマンはね、誰かの中にちょっとだけ入って、こっそり入れ替わる人。」
「入れ替わるって、どうやって?」
「見た目はそのままで、中だけ。ちょっとずつ、考え方が変わったり、感じ方が変わったり……気づかないくらい少しずつ。」
「そんなの、いるわけ……」
そのとき、本堂の電気が一瞬だけパッと消えて、すぐにまたついた。
「……今のは?」
タケルが思わず言うと、アスは小さな声で言った。
「来たんだと思う」
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次の日の朝、ふたりは学校の前で近所の男の子――トモヤくんに会った。
「タケルくん、アスくん」と、にこやかに声をかけてきたが、なぜかちょっと様子がおかしい。
目の動きが妙に静かで、声がゆっくりしていた。
トモヤくんが去っていったあと、アスがぽつりと言った。
「たぶん、あれ……スワップマンだった」
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帰り道、タケルはちょっとこわい気持ちになりながら言った。
「じゃあさ、ぼくの中にも、入ってることある?」
「うん。あるかも」
「でも……気づかないんだよね?」
「気づいたときには、もう自分じゃないかもしれない」
アスはそう言って、ふと空を見上げた。
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その夜、タケルは夢の中で、自分じゃない誰かの目で世界を見ていた。
それは、自分の体をしていたけど、自分の考えじゃなかった。
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朝、タケルは目を覚ましながら、ふと思った。
「ぼくって、本当にぼくなのかな」
スワップマンの気配は、まだどこかに残っていた。
スワップマンは、「だれかになる」のではなく、
「だれかのなかに、すこし入ってしまう」存在かもしれません。
でも、わたしたち自身も、そうやって毎日、
ほんの少しずつ、だれかの言葉やふるまいに入りこまれては、
自分の輪郭をほんのすこしだけ書きかえているのではないでしょうか。
「自分とは、自分だけでできているものか?」
「自分のなかには、他人が住んでいないだろうか?」
この物語は、その問いのはじまりにすぎません。
“ぼくは、ぼくである”という感覚の、ゆらぎ。
そこにひそむ静かな不思議さと、ちょっとした怖さを、
もしもあなたが感じてくれたなら――
きっと、スワップマンはすでに、どこかに来ていたのかもしれません。




