第47話「じゆうにうごいてる?」
ぼくらは「自分でえらんでる」って思ってる。右に行くか、左に行くか。おにぎりを食べるか、パンにするか。でもその“えらび”って、ほんとうに「ぼく」がやってるの?もしかしたら、それは最初から決まってたことかもしれない。それとも、えらぶ自由があることが、しあわせ? でも、えらばなくていい自由もあるのかも――。
お昼すぎ、タケルの家の縁側。
アスとタケル、そしてアスの弟は、並んで座っていた。
アスの弟は、縁側の端に置いてあったスリッパを手にとると、右足からそっとはいた。
左足は、いったんはくふりをして、また脱いで、もう一度はきなおした。
「この前も、右からだったよね」
タケルがつぶやくと、アスがうなずいた。
「うん。あとね、弟、階段を降りるときも、毎回おなじ数しか歩かない。ぴったりじゃないとやりなおすの」
タケルは弟のほうを見た。
弟は何も言わず、スリッパの端っこを指でたどっていた。
「……でもさ、それって“じぶんでやりたいからやってる”んじゃなくて、“そうしないと落ちつかない”んでしょ?」
「そう」
「じゃあ、自由じゃないってこと?」
「うん。でも――それでも、弟は安心してるんだよ」
タケルは少しだけ考え込んだ。
「なんかさ、それって……ふしぎな話だよね。ぼくらは“自由にえらびたい”って思うけど、弟は“えらばない”ことで、安心してる」
アスは、小さなため息をついた。
「ねえ、タケル。
“ぼくらって、本当に自由にうごいてるのかな?”」
「うごいてるでしょ。いまおれがこうしてラムネ飲んだのも、飲もうと思ったからで――」
「ほんとに?」
アスがラムネのビンを見ながら言った。
「“飲もう”って思ったのも、もしかして最初から決まってたことだったら?」
「……うへえ。でたな、アスのややこしいやつ」
アスは小さく笑って、続けた。
「昔の人で、アウグスティヌスっていう人がいたんだけど」
「またカタカナきたよ」
「その人はね、“自由意志”があるって言った。でも、さいごには“人は神さまのきまぐれで動いてるだけ”って考えるようになったんだって」
「えっ、それって自由じゃないじゃん」
「そう。でも本人は“それでもいい”って思ったんだよ。――神さまにすべてまかせれば、心が自由になるって」
「なんだそりゃ。ズルくない?」
「アウレリウスって人は、もっとすごいよ。“おきること全部に、うなずきなさい”って言ったの」
タケルは弟のほうを見た。
弟は、スリッパをぬいで、またはきなおしていた。何度も、何度も。
でも、その表情は、なぜかとても落ちついていた。
「……じゃあ、自由って、“自分の思いどおりにすること”じゃないのかもな」
アスは少し笑って、空を見た。
「お兄ちゃん、前に言ってた。仏教では“自分”って、ほんとうはつかめない“空っぽの箱”みたいなもんだって」
タケルも思い出すように言った。
「“空”ってやつだろ? そうか……
自分が“えらんでる”って思うのも、ほんとは、ただの波みたいなものかも」
「かもね。風が吹けば、木の葉がゆれる。
でも、その葉っぱに、“なんでゆれたの?”って聞いても……こたえられないもんね」
弟がそっと、手のひらを開いた。
そこには、さっき落としたラムネのビー玉が、ひかっていた。
自由って、なんだろう。 じぶんで決めること? すきなことをすること?でも、えらばないことで心が安らぐなら、それもまた自由かもしれない。 起きることを愛すること、ゆだねること――
そういう“えらばない勇気”も、ほんとうの自由なのかもしれないね。




