第309話『三角を作る人①』
三角形は、安定した形だと言われる。
けれど、人の心でそれを作ろうとしたとき、
それは愛になるのか、それとも――。
「ねぇタケル、スターンバーグの愛の三角理論って知ってる?」
タケルは、休んでいた授業のノートをうつしている最中で、顔をあげた。
「なにそれ?算数の話?スターンバ…なんか三角形ってこと?」
アスはニヤリと笑って、鉛筆を机の上でカンカンと三角形を描くように動かした。
「親密性、情熱、コミットメント。この三つがそろうとね、愛って完成するんだって。三角形の三つの辺がそろうみたいに」
「へぇ…でも、愛ってそんなにカンタンに図形にできるもんなの?」
アスは机に肘をついて、ちょっと得意げに言う。
「逆にね、意図的に相手に“親密性と情熱とコミットメント”を持たせることができたら、その人はもう離れられないんだよ。だって三角形が崩れなくなるから」
タケルはペンを止めてアスを見た。
「……なんか、こわいな。それって、ひとの気持ちをコントロールしてるみたいじゃん」
「そう。できるのはね、“自分が他人からどう見られてるか”をちゃんと知ってる人だけ。たとえば役者とか詐欺師とか、繊細な人とかさ。自分をどう演じれば、相手が情熱を持つか、どこまで一緒にいたいと思わせられるか、ぜんぶ計算できる人」
タケルはノートの文字を見つめながら、なんだか背筋がひやりとした。
「愛って…あったかいもののはずなのに。アスの言うのは、ちょっと実験みたいだ」
アスはわざとらしく肩をすくめてみせる。
「だって、ぼくらだって実験の中にいるかもしれないだろ? 愛だって、誰かが設計したプログラムかもしれない」
タケルは思わず笑った。
「また始まったよ、アスの宇宙のシミュレーション話。でも、もしそうなら…ぼくが感じてる“好き”とか“家族”とか、みんな三角形でできてるってこと?」
アスは真面目な顔になり、目を細めた。
「そう。三角形のバランスを少し崩すだけで、友情にもなれば執着にもなる。図形って案外こわいかもね」
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黒板の図形よりも、ずっと曖昧で、ずっと危うい三角形。
誰かが意図して線を引き、誰かが無意識にその中に立つ。
愛は、作られるものなのか。
それとも、気づいたときには、もう完成してしまっているものなのか。




