第46話「おさるのかいたしょせつ」
もし、何億年もタイプライターをたたきつづけるサルがいたら――
いつかシェイクスピアの名作とまったく同じ文章ができるかもしれない。
そんなバカなって思う?
でもね、ぼくたちが「たまたま生まれて、たまたまここにいる」ってこと自体、
サルの小説より、もっと不思議なことかもしれないんだ。
タケルの部屋。ちゃぶ台の上には、古びたキーボードとノートパソコンが置かれている。
「じゃーん! 本日の実験装置!」
アスが、得意げに両手を広げた。
「なにこれ、また変なもん拾ってきたの?」
「ちがうよ! これは『無限のサル実験機』!」
「むげんの……サル?」
「そう。『無限のサル定理』ってのがあってさ。サルがずーっとランダムにキーボードをたたき続ければ、
いつか『シェイクスピア全集』とまったく同じ文章ができる、っていう話」
「それ、ほんとうに起こるの?」
「確率的には……かぎりなくゼロに近いけど、ゼロじゃない。だから“無限”が必要なんだよ」
タケルはため息をついた。
「またそういうムダなことを……。でも、ちょっとおもしろそう」
アスがパソコンをつけると、画面にはびっしりとランダムなアルファベットの文字列が流れていた。
「こいつ、1秒間に3000文字くらい打ってるからね。
さあ、このなかから“意味のある言葉”を見つけよう!」
「おーっ!」
ふたりはスクロールしながら、無意味な文字列をにらんだ。
「あっ、“I love banana”って書いてある!」
「それ、おサルっぽくていいね」
タケルは笑いながら、ふと弟のことを思い出した。
この前、アスの家に泊まりに行ったときの夜――
弟は桶にためた水に手を入れて、ずっとすくっていた。
何もしゃべらず、何も伝えようとせず、ただ水のかたちをさわっていた。
「……もしかしたら、意味なんて、人間が勝手につけてるだけなのかもな」
「ん?」
「この文字列だって、“意味ない”って思えば意味ないし、“バナナに見えた”って思えば意味になるんでしょ?」
アスは少しだけ真顔になった。
「うん。でも、その“勝手に意味を感じる”ことが、
たぶん、ぼくらの心の力なんだよ。
仏教でいう“空”って考えに、ちょっと近いかも」
タケルはうなずいた。
「……前にも言ってたよね。意味は最初からあるんじゃなくて、
見るとき、生まれるってやつ。あの時も、ちょっとゾクっとした」
アスはニヤリと笑った。
「この文字列の中に、どこかで“タケル”って出てくるかもよ」
「やめてよ。そんなの出てきたら、こわいじゃん!」
ふたりはまた、モニターをのぞきこんだ。
意味を探しながら、意味をうたがいながら――
まるで世界そのものを、読み取ろうとしているかのように。
世界のすべてが、でたらめの文字列みたいに見えることがある。
でも、そこに意味を見つけるのは、いつも“ぼくたちの目”。
仏教の“空”が教えてくれるように、
世界に意味を与えるのは、“心”なのかもしれない。
たとえそれが、サルのたたいたキーボードでも――
そこに「ぼくたちの物語」が生まれる瞬間がある。




