第302話『情熱⑤愛が確かなものになるまで…』
想いが強くなるほど、距離の取り方がわからなくなる。
近づけば壊れそうで、離れれば失ってしまいそうで。
冬の静けさは、心の揺れをいっそうはっきり映してしまう。
数日後、露葉からの電話が鳴り響いた。
「はい」
「龍賢? 電話、待ってたけど何日たってもかかってこなかったから。どうしたかなって」
「なんでもないよ。ただちょっと考えたくて」
言葉の間に沈黙が落ちる。
受話器の向こうに、微かな息遣いだけが漂う。
「そっか。でも龍賢に会いたいなって思って」
「……うん。俺も」
「良かった。なら今から会えない?」
「ごめん。今はちょっと」
「そっか…わかった。なら待ってるから、連絡してね」
通話が途切れたあと、静寂が部屋に広がる。
彼女の声から離れたのに、胸の奥にまだ熱が残っている。
けれど、その熱は少しずつ薄れていき、やがて体の奥に冷たい隙間ができた。
禁断症状が抜けていくような感覚――楽になった気がする。
このまま、会わなければ。
乱されずにすむかもしれない。
苦しみから解き放たれるかもしれない。
――消えてしまえば。
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数日後の朝。
寺の門を出ると、そこに露葉がいた。
水色のワンピースが冬の朝にひときわ薄く映り、華奢な体をいっそう儚げに見せていた。
コートも着ず、寒さを感じさせない姿勢のまま、まっすぐに立っている。
黒髪が朝の光を吸い込み、短い髪の隙間からのぞく白い耳を、青い石のピアスがひと粒、淡く照らしていた。
その光景に、龍賢の胸がわずかに高鳴る。
抑え込んできた感情が、再び押し寄せてくるのを感じた。
「露葉……コートは? 寒くないの?」
できるだけ柔らかな声で問うと、露葉ははっとしたように肩をすくめ、微笑んだ。
「本当だ。寒い…コート、忘れてきちゃった」
「ここで、何してるの?」
露葉は左腕にそっと触れ、視線を揺らした。
「私、連絡を待ってたけど来なかったから……龍賢に会いたくて来たの。ここにいたら会えると思って」
胸の奥がざわつく。
やっと静まりかけていたのに――また波が寄せる。
「乱されたくない。もう少しだけ、そっとしておいてほしい」
心の中でそう呟きながら、遠くを見る。
右手で左肩を押さえ、首を傾け、ため息をついた。
「ごめん…露葉。寒かったでしょう? 何か用事があったの?」
彼女の瞳を直視できずに問いかける。
沈黙ののち、ちらりと見やると、露葉の瞳が潤んでいるのがわかった。
胸が痛む。だが今は、自分の苦しみを抑えることで精一杯だった。
「用事……か」
彼女は小さく呟き、寂しげに微笑んだ。
――近くにいるほど、苦しい。
だからこそ、距離を置くことが救いになる。
そう思う自分に、罪悪感が重くのしかかる。
「露葉。家まで送るよ。ちょっと待ってて。車の鍵を取ってくるから」
彼女から背を向け、数歩離れる。
その瞬間、胸の奥の重しがわずかに軽くなる。呼吸ができるような気がした。
門に戻ったとき、彼女の姿はもうなかった。
胸に鋭い痛みが走る。
けれど、その痛みは、燃えるような苦しみに比べればずっと穏やかだった。
――一緒にいたい。
でも一緒にいるためには、もう少し時間が欲しい。
逃げたい。
それでも彼女を幸せにしたい。
その相反する願いの狭間で、龍賢は立ち尽くしていた。
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の朝の冷気は、痛みを少しだけやわらげてくれた。
何も決められないまま立ち尽くした場所に、
それでも確かに、愛は残っていた。




