第296話『情熱①愛が確かなものになるまで…』
冬の光は、感情の影をゆっくり伸ばします。
第296話では、まだ名前にならない想いが、静かに形を帯びはじめる瞬間を描きました。
触れればほどけてしまいそうな距離の中で、二人がどのように心の輪郭を確かめていくのか――その最初の気配を感じてもらえたら嬉しいです。
カフェの硝子窓ごしに、先に着いている露葉を見つけた。
ページをめくる仕草は、時間の粒を指先でそっと弾いているように静かで、どこか遠い。
蒼白な肌に、漆黒の髪。短めの髪型はアールデコの彫刻のように洗練されていて、クリスマスに贈った月と星の耳飾りが、彼女の横顔に夜の輝きを添えている。黒いラインストーンが揺れるたび、雪明かりのような光が一瞬だけ跳ね返り、龍賢の胸を強く打った。
視線を落とす伏せ目、その長い睫毛の影に隠れる瞳。深い緑に染められた指先が画集を支える姿は、芸術品に触れるような慎ましさと美しさを宿していた。
――露葉って、こんなに綺麗だっただろうか。
今さらのようにその美しさに、胸の奥がざわつく。
彼女が顔を上げ、龍賢に気づく。
小首を傾げ、軽く手を振って微笑む。「早く着きすぎちゃった」
龍賢は歩み寄りながら答える。「法事が長引いて遅くなってごめん」
露葉は首を横に振り、カップを持ち上げて遠くを見やった。「待ってる時間も、好きだから」
その一言が、雪の降る昼の静けさと混ざり、龍賢の胸に沁みた。
彼女は少し透け感のあるレースのインナーに、深いスリットの入ったロングスカート。椅子にかかる白い足が不意にのぞくたび、龍賢は呼吸を忘れる。
――その肌を、誰にも見せたくない。
そんな感情が胸に濁流のようにあふれ、思わずため息を漏らした。
彼女は何も知らず、画集をめくりながら笑みを零す。整った唇を無意識に指先で触れ、その仕草のひとつひとつが龍賢を惑わせる。
ふと視線を上げ、近くの席に座る男が露葉をちらちらと見ていることに気づく。血が逆流するような感覚に襲われ、「そろそろ行こうか」と促す。
露葉はコクリと頷き、コートを羽織った。
その瞬間も彼女に向けられる視線を感じ、思わずコートのボタンを一つずつ掛けていく。露葉は少し驚いたように龍賢を見つめ、それから小さく微笑んで「ありがとう」と呟いた。
――ただ誰にも見られたくない、その衝動に駆られただけなのに。
その純粋な微笑みに胸が痛んだ。
情熱は強く語らずとも、沈黙の中で膨らむことがあります。
誰かを想うとき生まれる、美しさと不安、そのどちらも抱えたまま進んでいく二人の物語は、まだ始まったばかりです。
次の章で、龍賢と露葉の間に少しだけ新しい空気が流れる予感を残しながら。




