45話「ぼくにできないこと」
できることが「すごい」?
じゃあ、できないことは「だめ」なの?
でも――できないことにすら気づいてない目の前の誰かを見ていたら、
その人は、すでに「できる・できない」の前に、
ちがう世界を生きてるのかもしれないって、ふと思ったんだ。
タケルの部屋に、アスとアスの弟がいた。
ちゃぶ台の上には、色鉛筆とメモ用紙、そしてサイコロが転がっている。
アスの弟は、最近やっとタケルの家に入れるようになった。
最初は玄関で固まっていたけど、アスが写真カードで部屋の中を見せてから、
少しずつ少しずつ、今日はもうちゃぶ台に手を伸ばしている。
弟はサイコロの目を、ひとつずつ、指でなぞっていた。
静かに。すごく丁寧に。音も立てずに。
「……あ、この前もやってたよね。サイコロの目、ひとつずつ、さわってた」
タケルが言うと、アスはうなずいた。
「うん。ころがすって発想、ないんだと思う。
目の数は“かぞえるもの”じゃなくて、“さわれる形”」
タケルはサイコロを見つめた。
ふと、言った。
「……あれって、決められた6個の目しか出ないんだよね。
それって、すごい不自由って感じもするけど、逆に安心するのかな……?」
アスは首をかしげて、言った。
「弟にとっては、“出る”か“出ない”かより、“そこにある”ことが大事なのかも。
未来とか偶然とかより、“目の前にあるもの”って感じ」
「……うん、なんか、そうかも」
タケルは少し黙ったあと、ぽつりとつぶやいた。
「ぼく、弟のこと見てるとね、ちょっと不思議な気持ちになる。
ぼくたちは“できる・できない”って考えるけど……弟は、そもそもそれがない気がする」
アスは目を細めて、弟を見た。
「エピクテトスって人が言ってたよ。
“自分の力でどうにもならないことを気にするな”って」
「エピ……なんとか?」
「エピクテトス。むかしの哲学者。奴隷だったんだけど、心は自由だったんだって」
「へえ。……でも、弟はさ、そういうことすら知らないよね?
“できない自分を受け入れる”とかじゃなくて、“できない”ってこと自体がない世界にいるみたい」
「うん、そう。
“できない”を知るには、まず“できる自分”ってイメージがいる。
でも弟は、“そもそも”ちがう場所から見てる」
タケルは、弟がサイコロの4の目を、じっとなぞってるのを見つめながらつぶやいた。
「なんかさ……ぼくの方が、不自由に見えてくるよ」
アスは笑った。
「もしかしたら、ほんとの自由って、“目の前にあるもの”をそのまま見られること、かもしれないね」
できることを数えていくと、どこかで不安になる。
でも、できないことにすら気づかないまま、
ただ静かに世界を感じている誰かの姿は――
“できる・できない”って枠の外で、
すでにぼくたちよりも自由だったりする。




