第295話『彼女はみきさん。』
雨がやんだ直後の、音が吸い込まれるような静けさ。
そんな“間”の中で、タケルとアスがふと夢の正体について語りはじめる小さなお話です。
夕方。
道路沿いのベンチは、まだ少し暖かい日差しを残していた。
家々の影がゆっくり伸びて、風が低く揺れている。
タケルは空を見上げて、眉をひそめる。
アスは拾った葉っぱをひらひらさせながら、足をぶらぶら揺らしていた。
そこへ、かすかに靴の音がして、近所のお姉さんが現れた。
白いシャツの袖が風で揺れている。
「こんにちは。座ってもいいですか?」
柔らかい声でそう言う。
「はいどうぞ」
タケルが答え、アスも小さく頷く。
三人並ぶと、また静かな風が流れた。
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タケルが空を指さす。
「お姉さん最近よく会うね?近所?」
「はい。この辺。」
「お姉さんなんて名前?」
お姉さんは少し黙り、空を見てから
「えと…みきです。」
アスとタケルは顔を見合わせて笑う。
「名前言うのに考えるの可笑しいよ」
「ちょっと忘れて。」
「みきさん天然だ」
みきは照れたように小さく笑い、指先で風をなぞる。
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タケルが尋ねる。
「ぼく達今弟とアスのお母さんの帰りを待ってるんだけど。みきさんは?」
みきは少しだけ考え、
「私も一応待ってる。」
「一応って?」
また沈黙が落ちる。
「はは。別に待ってって言われてないけど、よく眠れたから待ってみた。」
「不思議な待ち方。」
「はい。気分。」
みきはベンチの上で変な角度に座っている。
タケルとアスが首をかしげる。
「角度おかしくない?」
みきは自分のこととは思わず、さらに角度を変える。
「みきさん?角度おかしくない?」
「え?私?」
二人が頷く。
「あは。日が当たらないように影に無理やり入ってる。」
言われて見ると、本当に細い木の影に身体を押し込んでいる。
「太陽の光嫌いなの?」
「はい。太陽光嫌い。当たりすぎると胸の奥底から罪悪感が出てくる。」
「へ〜不思議な人。」
みきは遠くの風景を見つめる。
細い木の影がゆらいだ。
みきはその木の写真をそっと撮る。
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「もしかして、お母様と弟さんってそこの緑の屋根の支援センターに行ってますか?」
アスが頷く。
「いいですよね?そこ。お昼ご飯も出してくれるから、楽。」
「知ってるの?」
みきは少し沈黙してから、静かに言った。
「はい。息子も行ってます。」
「みきさん、子供いるの?」
「はい。5歳。同じでしょ?年齢。感じもよく似てらっしゃる。この前間違えた。」
みきは笑いながら、腕時計を見る。
そのまま携帯を耳に当てる。
「もしもし。まだ?待ってるけど…
え?わかった。迎え行くよ。はい。」
通話を切り、立ち上がる。
「迎えに行く人が迎えに行くの忘れたそうです。迎えに行きます。」
みきはタケルとアスに小さく頭を下げる。
「お先に失礼します。」
夕方の光に影が伸び、
細い木の影にいたみきの姿は、すっと角を曲がって消えていった。
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ふたりの会話のあとに残ったのは、
夢と心のあいだにある、名前のつかない“ぬくもり”のようなもの。
雨上がりの光みたいに、そっと胸の奥に灯る感触を、読んだ方にも少しだけ届けば嬉しいです。




