第291話『タケルの家③夢の見ている方』
雨が止んだあとの庭には、
いつもより言葉の少ない時間が流れている。
霧の残り香や光の揺れが、
タケルとアスの心の奥に眠っていた“なにか”を
そっと浮かび上がらせるようだった。
夢と記憶の境目が、
ふたりの会話に静かに滲みだしていく。
雨があがって、庭の石畳が淡く光っていた。
さっきまで降っていた霧が、
まだ地面の上にうすく漂っている。
タケルは縁側から庭を見ていた。
手水鉢の水面には、さっきの雨の名残が
まだ小さく波紋を描いている。
「ねえ、アス。」
タケルがぽつりとつぶやいた。
「それならさ、夢は?
夢って、頭が見せてるの? それとも心が見せてるの?」
アスは少し考えて、空を見上げた。
雲の切れ間から、光が一本だけ差し込んでいる。
「……むずかしいね。
でも、ぼくは“心が見てる”と思う。」
「でも、夢って脳が作ってるって言うじゃん。」
「そうだね。
でもさ、“脳が作る”っていうのは、
“心が願ってるもの”を、
映写機みたいに映してるだけかもしれない。」
アスの言葉に、タケルは首をかしげる。
「映写機?」
「うん。
たとえば映画って、カメラが撮るけど、
“本当の物語”は、作る人の心の中にあるでしょ?
脳はカメラで、心は物語をつくる人みたいなもの。」
「じゃあ夢は……心の中の映画?」
「そう。
でも、見てるのは誰かって言われたら――
それも“心”なんだよ。」
タケルは少し黙って、
光が当たる庭の苔を見つめた。
風が通り、葉のしずくが一つ落ちた。
「じゃあ、夢の中のぼくも……心が作ったぼく?」
アスは小さく笑ってうなずいた。
「うん。
でもね、その“夢の中のぼく”が笑ってくれるから、
“本当のぼく”も、どこかで安心してるのかもしれない。」
タケルは小さな声で言った。
「……なんか、ややこしいけど、やさしい感じがする。」
アスは目を細めて、
「夢ってそういうものかも。
ややこしいけど、やさしい。」
とつぶやいた。
そのとき、鐘楼の方から、
ひとつ、澄んだ音が鳴った。
光が揺れ、鳥が枝から飛び立つ。
ふたりはしばらく黙っていた。
風の中に、まだ雨の匂いが残っていた。
---
夢を見ているとき、
ぼくらは「自分がどこにいるのか」を忘れてしまう。
けれど、目覚めると必ず少しだけ
心がやわらかくなっている。
それは、夢が“心の奥にある物語”を
一度そっと照らしてくれたからかもしれない。
雨上がりの光のように、
ふたりの胸のなかにも静かに
ひとすじの光が差し込んでいた。




