第281話『崩れてく⑮ 夢のような夢の話Ⅰ月の下。』
夜の庭は、昼とはまったく違う顔を見せる。
虫の声、草の匂い、そして頭上にただよう白い月。
その下では、ふたりの少年が眠りと目覚めのあいだを漂いながら、
“夢を見ているのは誰なのか”という、不思議で静かな問いに耳を澄ませていた。
このお話は、月明かりの中でそっと交わされた、そんな一夜のささやきです。
『ねぇタケル…』
エドゥアルト・カスパリデスの絵のような
月の下で夢をみる
寺の裏庭でタケルとアスは草の上に寝転んでいた。
虫の声と、木の葉の擦れる音。
空は雲が切れて、白い月がぼんやりとかかっていた。あの夏…
「ねえ、タケル?キミ聞いてた?」
アスが小さな声で言った。
「ごめんちょっと寝てたかも」
タケルはアスの方を向き答えた。
「夢の中ってさ、ほんとうは誰が見てるんだろうね」
「自分、じゃないの?」
「でもさ、夢の中の“ぼく”は、ぼくの中にいる別のぼくだよね。
その“別のぼく”が夢を見てるなら、ほんとうの“ぼく”はどこにいるのかな」
タケルは目を閉じて、月の光をまぶた越しに感じた。
「もしかしたら、夢を見てるのは月かもしれないね」
「月?」
「うん。ぼくらが寝てる間、月がぼくらを見ながら、
ぼくらの夢を見てるんだよ」
アスは笑いかけたけれど、すぐに黙った。
風が吹いて、草が波のように揺れた。
「じゃあさ」アスがつぶやいた。
「月が夢をやめたら、ぼくらは目を覚ますのかもね」
タケルは少し考えてから言った。
「でも、そのときぼくらが目を覚ますってことは、
月が“夢から覚める”ってことなんじゃないかな」
ふたりの言葉が、夜の静けさに吸い込まれていった。
遠くで寺の鐘が鳴る。
ひとつ、ふたつ――
その音は、まるで夢の奥から響いてくるようだった。
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エドゥアルト・カスパリデスの絵のように、
この夜もまた、光と影のあいだに人のかたちが浮かんでいた。
それが夢なのか現なのか、
ただ月だけが知っていた。
『エドゥアルト・カスパリデスの絵みたいだね』アスが呟く声だけが響く。
タケルは目を閉じた。
夢の声なのか、自分の声なのか。
月の光に照らされると、境目はゆっくり溶けていく。
夜風が草をゆらし、ふたりの言葉を遠くへ運んでいったように、
思索はときに、どこまでが自分でどこからが世界なのかを曖昧にしてしまう。
それでも、そばに誰かがいて同じ月を見上げていれば、
その曖昧ささえ、静かに美しく感じられる。
今夜の光が、そのまま夢の続きへとつながっていきますように。




