第279話『崩れてく⑬ 13時のはじまり』
午後の光は、静かに世界を染める。
どこにでもある街のカフェも、ほんの少し立ち止まってみると、
小さな出来事や心の揺れが、じんわりと見えてくる。
このお話は、そんな午後の時間の中で、少年たちが感じる不思議な瞬間と、
まだ見ぬ“大人になる”自分への小さな気づき。
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カフェの窓から午後の日差しがやわらかく差し込んでいた。
テーブルの上で、硝子のコップが光を受けて静かにきらめく。
丁寧にフォークをくるくる巻き、
細いパスタをゆっくり口に運ぶアスを、
タケルはじっと見つめていた。
『なに?食べたいの?いいよ、食べて』
アスは視線を皿から離さず、
自分のパスタをタケルの方へ少し押し出した。
『わぁい。ありがとう〜って、オムライス食べたし』
タケルは照れくさそうに言いながら、
テーブルの端を指でトントンと叩いた。
その音が、午後の静けさに小さく響いた。
アスはちらりとタケルを見て、
『キミがずっと見てるから、食べたいのかと思ったよ』と笑う。
タケルは龍賢の方を見る。
龍賢は頬杖をつき、
ぼんやりと窓の外の街路樹を眺めていた。
『そんなに見てた?』タケル。
アスはまたフォークでパスタを巻きながら、
『うん、見てた。
キミたち兄弟は気になると、ずっと人を見るクセがあるよね』
そう言ってフッと息をこぼした。
その言葉に、窓の外を見ていた龍賢が視線を戻す。
『あぁ、確かに。気になると見るところ、似てる』
そう言って小さく笑った。
タケルはその笑みを見て、
『兄ちゃん、ケーキ頼んでいい?』と聞く。
『いいよ。好きなの食べなさい』
龍賢は穏やかに微笑んだ。
アスはその様子を見て、
『やっぱり食べたかったんだね』と呟く。
タケルは水をチビチビ飲みながら、
『ケーキは入る……って、食べたくて見てたんじゃないし』
と、口の中でつぶやくように言った。
アスはため息をつき、
フォークを置きながら目を細める。
『観てた絵でしょ? なんで観てた?って聞きたい』
タケルは龍賢を見て、それからアスを見て、
コクリと頷いた。
龍賢はクスッと笑って、
『タケルは、大人になるのはまだまだ先だな』と呟いた。
アスはゆっくりと言葉を続ける。
『昔、あの絵を観たことがある気がして。
いつかはわからないけど、確かに観た。
不思議な絵でね、
絵の上に設置された時計が“13時”を指した時、絵が変わるんだ』
タケルと龍賢は顔を見合わせた。
『面白いな。そんなことパンフレットにも書いてなかったぞ。
それで絵の前で待ってたのか?』龍賢が尋ねる。
アスは小さく頷く。
『それで? 絵は変わったの?』
タケルが身を乗り出して聞く。
『うん。絵の空に無数の星が出た。
13時に世界がはじまるんだよ――って、
昔、誰かが言ってた』
タケルは息を呑み、
『なんか凄い……』とつぶやいた。
その直後、運ばれてきたケーキを一口食べて、
『ケーキも美味しい』と笑う。
アスはその顔を見て、
『キミ、学校ずっと休んでた割に食欲あって元気そうだね?』と。
タケルはフォークをくるくる回しながら、
『やっと食欲でた』と小さく答えた。
龍賢はコーヒーを口に含み、
遠くを見つめたまま言った。
『13時に世界がはじまる、か……面白いね』
アスはその横顔を見つめながら、
『印象的な言葉で覚えてた。誰が言ったのかな……』
と呟いたあと、ふと気づいたように言う。
『……兄ちゃん、ずっと携帯マナーモード鳴ってるよ。
出なくていいの?』
龍賢はうん、とだけ答え、
携帯をポケットに押し込み、また窓の外を見た。
外では風が木々の枝をわずかに揺らしていた。
カフェの時計は、13時を少し過ぎている。
――微かに聴こえる、
ポケットの奥で震えるマナーモードの音。
繋がらないのに、
それでも誰かがかけ続けている。
まるで、繋がりそのものを保つために。
鳴り響いては止まり、
また静けさの中に溶けていく。
そして再び、
世界がはじまる――13時の音とともに。
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誰かの様子をじっと見つめること、言葉にできない気持ちを抱えること。
それもまた、世界を知り、大人になるための一歩なのかもしれません。
13時の静かな光とともに、窓の向こうで揺れる木々、
カフェの中の小さな時間の断片は、
少年たちの心に、そして読むあなたの心にも、そっと残ることでしょう。




