第278話『崩れてく⑫大人になるため』
光は、硝子を通してやわらかく世界を染める。
見慣れた街の道も、少し遠くへ足を運ぶだけで、新しい光と出会う。
このお話は、そんな光の中で、少しずつ大人になろうとする少年たちと、
その優しさに気づく瞬間を描いた一編です。
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となり町にある硝子の博物館。
同じ建物の奥には、小さなプラネタリウムが併設されていた。
ステンドグラスに包まれたその外観は、まるで光の箱のように、
秋の午後の陽をうけて静かにきらめいていた。
『わぁ〜……きれいな建物だね』
タケルが車の窓から身を乗り出し、目を細める。
『ほんと。……芸術みたい』
アスは少し遠い目で、その色と光の重なりを見つめていた。
『二人とも、降りていいぞ』
龍賢がハンドルを切り、駐車場に車を止めて言う。
『アス、行こ〜』
タケルは嬉しそうにドアを開け、アスの腕を軽く引いた。
二人が並んで歩く姿を見て、龍賢はふと目を細める。
光の粒が風に揺れ、二人の背中に降りかかっていた。
館内は外から見た以上に静かで、
壁一面を覆うステンドグラスが、
まるで水の中のように、柔らかく光を反射していた。
『すごい……瓶の中に閉じ込められた気分』
タケルは両手を広げてくるくると回り、
床に落ちる光の破片を追いかけるように笑った。
『こら、タケル。危ないぞ』
龍賢が小さくため息をつく。
その横でアスは静かに笑い、
展示の一角に置かれた特大のステンドグラス作品の前に立ち止まった。
ガラス越しの光が、アスの頬を透かす。
その表情は、どこか祈るようで、切なげでもあった。
一方、タケルは龍賢を呼びながら星座の硝子細工を見て回っている。
『兄ちゃん見て、これ! 牡牛座のガラス。
中に星がぎっしり閉じ込められてるみたいだよ』
『へぇ、すごいな。細工が細かい……。
でもなんで牡牛座? タケル牡牛座か?』
タケルは振り返り、にやっと笑う。
『ちがうよ。兄ちゃんが牡牛座。』
龍賢は驚いたように目を丸くした。
『俺が? へ〜知らなかった』
タケルはあきれたように肩をすくめる。
『兄ちゃんってさ、自分に興味ないよね』
龍賢は少し笑って、
『俺が俺に興味あったら、気持ち悪いだろ』
と、淡々と返す。
タケルは吹き出して、
『なにその哲学みたいな返し』と笑いながら、
グラスの中の光をのぞきこんだ。
その間も、龍賢の視線は何度もアスの方へ向かっていた。
アスは、ひとり特大のガラスアートの前に立ち尽くしている。
光が彼の影を細く伸ばし、
その周囲だけ時間が止まったように見えた。
タケルはその様子に気づき、行こうとしたが、
龍賢が静かに手で制した。
タケルは小さく頷き、代わりに別の展示──
「四季の星」と名づけられた硝子細工の前へ歩いていった。
光が移ろうたびに、春夏秋冬の色が入れ替わる。
その変化を見ながら、タケルは言葉にできない思いを抱いた。
――誰かを待つこと。
――触れないまま見守ること。
それもまた、優しさのかたちなのかもしれない。
やがて出口にあるカフェレストランで、
龍賢とタケルは並んで食事をしながらアスを待った。
タケルはオムライスを食べるフォークを止めて、ぽつりと聞く。
『ねぇ兄ちゃん。
“そっとしてほしい時”と、そうじゃない時って、
どうやったらわかるの?』
龍賢は少し考えてから、サラダを口に運ぶ。
『そうだな……。年をとると、自然に空気が読めるようになる。アスのこと、だろ?』
タケルは頷き、
口についたケチャップを親指で拭いながら言った。
『うん。ボクだったら絶対、さっき話しかけてる。タイミング?とかそういうのが、難しい。わからないことが多い……。
ボク早く大人になりたいな』
龍賢はその言葉に小さく笑みをこぼす。
『そうやって悩むことが、
きっと“なる”ってことなんだよ。
優しさって、たぶん大人になるための近道かもしれないね』
タケルはお茶を飲みながら、
博物館の出口の方を見つめる。
光の中に、アスの影がゆっくりと浮かびあがるのが見えた。
硝子の光が、三人の世界を包みこむ。
――優しさは、人にとって欠点でもあり、
そして、いちばん強いものなのかもしれない。
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誰かをそっと見守ること。
触れずに想いを届けること。
その小さな気づきや悩みこそが、優しさとなり、
大人になるための道しるべになっていくのかもしれません。
硝子の光に包まれた三人の姿を思い出すと、
柔らかく、けれど確かな強さを持つ優しさの形が、心に残ります。
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