第274話『崩れてく⑧真実に近付く時。』
夜は、人が胸の奥にしまっていた気持ちをそっと浮かび上がらせる。
タケルと龍賢の静かな会話は、
アスの「言わなかった理由」とタケルの「言えない気持ち」を、
少しずつ照らしていく。
これは、痛みと優しさが重なる夜の物語。
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龍賢はしばらく黙っていた。
時計の針の音が、部屋の奥で小さく響く。
それを確かめるように一度目を閉じ、静かに口を開いた。
『アスのお父さんは、亡くなってる。』
タケルははっとして龍賢を見た。
その瞳が夜の灯りを映して、わずかに揺れた。
龍賢は目を伏せ、穏やかに言葉をつづける。
『俺が知ったのは最近。タケルは、露葉のお母さんが亡くなってることは知ってるよね?』
タケルのまつげが震え、瞳が少し濡れる。
『……うん。癌で亡くなったって聞いた。』
龍賢は頷く。
『そう。となり町にね、最後をむかえる病院があって。
そこで、昔――露葉とアスは偶然会ってる。』
部屋の空気が、ふっと静まりかえる。
タケルの手の中のぬいぐるみが、ぎゅっと押しつぶされる音だけがした。
『え……』と小さく漏らしたあと、タケルは顔を上げる。
『じゃあ……アスのお父さんも、癌で亡くなったってこと?』
龍賢は一瞬だけ目を伏せて、低く答えた。
『……多分。』
その言葉が、ゆっくりとタケルの胸に沈んでいった。
タケルの瞳から涙が一筋こぼれ、ぬいぐるみの布を濡らす。
その涙が吸い込まれる音すら聞こえそうだった。
しばらくして、タケルがぽつりと口を開く。
『……どうしてアスは、お父さんがいるフリをするのかな?
どうして教えてくれなかったんだろう。ぼく達、友達なのに。』
声が震える。
『なんか寂しい。友達だと思ってるのは、ぼくだけなのかもしれない。』
龍賢はゆっくりと手を伸ばし、タケルの背中に触れた。
その掌の温もりは、冬の夜の中でひときわ静かに響く。
『本当にそう思う?』
タケルは顔を上げた。
『え?だって、大事なことは何も……』
『タケルは、アスに話したか?』
『なにを?』
龍賢の瞳はやわらかく、けれど逃げ場のないほど真っ直ぐだった。
『自分の体のこと。』
タケルは言葉を失ったように、唇を動かす。
そして、かすかに首を振った。
『……話してない。だって、心配してほしくない。』
龍賢は静かに微笑む。
『アスも、そうなんじゃないかな。
タケルに心配かけたくないんじゃないかな。』
タケルは俯いたまま、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
目を閉じると、遠くの車の音が波のように聞こえてくる。
『……でもぼく、知らないままにしたくない。
力になりたい。』
龍賢はその横顔を見つめ、目を細めた。
『そうか。優しいな、タケルは。』
その声には、淡い微笑と少しの切なさが混じっていた。
『アスが嘘をつくのには、多分理由がある。』
少し間を置き、龍賢はぽつりと続けた。
『賢い子だから。…いや、怖いくらい賢いよな。
理由もなく、そんなことするとは思えない。』
どこか遠い記憶をたどるように、龍賢は微笑んだ。
『ほんと、生意気で可愛気もまったくない。』
タケルは少し顔を上げて、呟く。
『兄ちゃんも全然、可愛くないよ。アスのこと言えない。』
龍賢は目を細め、ふっと息を漏らして笑った。
『そうか? 可愛くなくて嬉しいよ。』
二人の笑い声が、夜の中にほんの少しだけ溶けていく。
外の風がカーテンをそっと揺らし、
街灯の光がゆるやかに形を変えては、また元に戻った。
その光の揺れだけが、
まるで会話の続きを聞いているように、
静かに部屋の中で呼吸していた。
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大切な人ほど、弱さを隠してしまう。
アスにもタケルにも、その“黙る理由”があった。
夜風に揺れるカーテンの光みたいに、
二人の影は近づいたり離れたりしながら、
ほんの少しだけ相手の心に触れていく。
その静かな揺れが、
この夜のやさしさそのものだった。




