第268話『崩れてく②白い世界に誘われて』
冬の朝の光はまだ柔らかく、世界は静かに目を覚ます。
霜に光る石畳、冷たい風に揺れる木々――
いつもの道も、今日は少しだけ特別に感じられる。
タケルの足取りは軽く、冬の静けさの中で、
小さな冒険の始まりを告げていた。
外に出ると、空気は冷たく澄んでいた。
吐いた息が白く浮かんで、ゆっくり形を変えて消えていく。
境内の石畳にはうっすらと霜が降りて、足音がしゃりっと鳴った。
鐘楼の方からカン……と小さく風に揺れる音がした。
朝の光がまだ弱く、屋根の端が銀色に光っている。
タケルはポケットに手をつっこみながら歩き出した。
いつも通る参道を抜けると、近道の神社のほうへ向かう。
そこは小さな森のように木々が並んでいて、冬でも葉を落とさない杉の間から、鳥の鳴き声が聞こえてくる。
境内の隅にある狛犬の片方の背中には、うっすらと雪が積もっていた。
タケルは立ち止まり、その雪を指でつん、とつつく。
冷たさが指先に伝わる。
『おはよ、雪の帽子だね』と小さくつぶやき、
狛犬の鼻を軽く撫でた。
階段を降りるとき、手すりの鉄がひんやりしていて、タケルは指先でなぞりながら下りた。
その先に広がる坂道は、まだ誰も歩いていないらしく、霜が陽にきらきら光っている。
道の途中で、タケルは歩道と車道の間の白線の上をバランスを取りながら進んだ。
腕を広げ、ふらふらと――まるで一本橋を渡るように。
車が通ると、その風が頬をかすめていく。
タケルは目を細め、風のあとを追うように一歩、二歩と進んだ。
信号機の青が、霜を照らして淡く光る。
『ふふ……』
誰にでもなく、笑みがこぼれる。
アスの家まではほんの数分だけど、タケルにとってはその道のすべてが遊び場だった。
神社の猫の足跡を見つけてついて行ったり、電柱の影を踏まないように歩いたり。
マンホールの上に乗って、そこから覗くように空を見上げる。
空はうすい青で、どこか夢の中の色に似ていた。
光がまぶしくなり、目を細める。
『……ねぇアス。』
タケルは誰もいない道に向かってぽつりとつぶやいた。
『今日、なんかいい日だよ。』
遠くで鳥が飛び立つ音。
どこかの家の洗濯物が風に揺れて、ひらりと陽を反射する。
そのままタケルは、猫の散歩みたいな足どりで、
アスの家へと向かっていった。
日常の風景のひとつひとつが、
遊び場にも、詩にも変わる瞬間がある。
吐息に溶ける光、霜のきらめき、鳥の羽音――
それらを感じながら歩くタケルは、
まだ見ぬ一日の出来事に、心を開いているのだった。




