第264話『限られた世界中で』
弟の遊びを通して“有限と無限”について考えます。
部屋という限られた空間の中で、弟は自由に道を作り、車を動かす――
それはまるで、有限の世界で無限を生きる哲学のようです。
タケルとアスは、その小さな宇宙から感じる生き方を静かに見つめます。
弟の声が、まだ小さく響いていた。
「あ=1、い=2……」
床のコードの上を、小さな車がゆっくり進んでいく。
アスはその様子を見ながら、ふとつぶやいた。
「ヘーゲルって、知ってる?」
タケルは振り返って笑った。
「知ってるよ〜、虫でしょ」
アスは思わず吹き出しそうになって、首を横に振る。
「虫じゃないよ。人間。昔の哲学者」
「名前が人間離れ〜虫っぽい。」タケルは笑いながら床に寝転ぶ。
「で、その人、なにか言ったの?」
アスは少し考えてから、静かに言った。
「“思考するとは、有限を超えて無限を生きることだ”」
タケルは目をぱちくりさせる。
「……なにそれ、ちょっとカッコよすぎて意味わかんない」
アスは弟の車を見つめたまま、ゆっくり話す。
「たとえば弟の遊び。
この部屋の中だけど、弟の中では、どこまでも道がつながってる。
それって“有限の中で無限を生きてる”ってことだと思う」
タケルは車の通るコードを指でたどりながら言った。
「じゃあ……弟、哲学者じゃん」
アスは小さく笑った。
「そうかもね。
でもきっと、考えてるわけじゃなくて、“感じてる”んだと思う」
タケルは天井の光を見上げた。
「感じる……か。
じゃあぼくらも、感じながら生きてるのかな」
アスは頷いた。
「うん。限られた世界の中で、無限を生きようとしてる」
弟の手の中で、小さな車がまた新しい道へと滑り出す。
光がゆっくりと床を移動し、まるでその道を導くようだった。
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私たちが生きる世界は、限りがあるように見えても、
感じ方や視点次第で無限に広がる。
弟の遊びは、言葉や理論を超えて、
“感じることの哲学”を自然に教えてくれているのかもしれません。




