第258話『誰かを想う事④』
第258話『誰かを想う事④』は、
言葉が互いの心に触れ、
しかし完全には届かない――そんな瞬間を描く回です。
親子であるはずの二人が、
互いの痛みや過去の影を前に、
ぎこちなくも真実を言葉にする。
タケルという存在が、
龍賢と父親の間に小さな光を差し込む。
それは、まだ完全ではないけれど、確かに存在する光。
『理由がなかったら兄ちゃんはそんな事しないよ』タケルは柔らかい声で言った。
父親は頭をかき、居心地悪そうに「はいはい、そうですね」と笑ってみせたが、笑いは乾いていた。
「タケルは優しいな。ごめんな〜タケル」
「ぼくじゃなくて、兄ちゃんに謝ってよ」
父親はため息をつき、視線を泳がせながら「はい。ごめんなさい、龍賢くん」と投げやりに口にした。
龍賢はフッと笑い、声を低くした。
「その後、あんたが俺をめちゃくちゃ殴った」
父親はタケルを一瞥し、「それは…お前が理由を言わないから、暴力はよくないって教えようと…」と呟いたが、その声は自分にさえ届いていないようだった。
「暴力はよくないって、暴力で教えた?」
龍賢はわずかに笑みを浮かべ、しかし目は鋭く、父親を射抜くように言った。
「ちがう、それは龍賢が――」
「もーやめてよ!」タケルが声を張り上げた。「いつも顔を合わせれば喧嘩ばっかり。仲良くしてよ!兄ちゃんも、お父さんに“あんた”なんて言わないで!」
父親はタケルの言葉に押され、苦笑して肩を落とした。
「はいはい。…息子。これからは仲良くしようじゃないか」
そう言って、ぎこちなく手を差し出す。
龍賢はタケルの視線を感じた。心配そうな瞳。
一度息を吐き、父親を見据えて言った。
「…あんたは、いつも大事な部分を話さない。大事なことを隠す」
その瞬間、父親の瞳が小さく揺れた。
龍賢はその揺れを見逃さず、さらに言葉を重ねた。
「ずっとそうやって、無かったことにして隠して生きていくの?――哀れな人だね」
低く響いた言葉を残し、龍賢は部屋を出ていった。
残された空気は重く、どこか冷たかった。
「ほら!お父さんが意地悪だから兄ちゃん怒っちゃったよ。人の気持ち考えなさいって、お母さんにいつも言われてるでしょ。言葉をちゃんと選ばなきゃ」
タケルに叱られ、父親は頷きながらも、視線は遠く宙を漂っていた。
その目は、今ここにあるはずの息子ではなく、もうどこにもいない何かを見ているようだった。
やがて父親が露葉を送っていくと言い出し、タケルと露葉は彼と共に車に乗り込んでいった。
父と子。
寄り添うようで、すれ違うようで。
親子の絆は時に深い断層を抱えたまま続いていく。
――父と息子は、生まれた瞬間から「他人」として向き合わざるをえないのかもしれない。
そして、その溝を埋める言葉は、いまだ見つからないままだった。
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親子の関係とは、時に言葉より重い沈黙でできています。
龍賢の言葉は、父の目を揺らしたものの、
それでもすぐに理解されるわけではない。
タケルが差し込む光は、
少しだけ温かく、しかし脆い希望。
「誰かを想うこと」は、
ただ優しさを与えるだけでなく、
痛みや距離を直視する勇気でもある――。
居間の空気に残った冷たさと温もりは、
そのまま彼らの関係の象徴のように、静かに夜の中に溶けていく。




