表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
386/449

第252話『誰かを祝う日⑤』

ひとはみな、「祝う日」を心のどこかで怖れている。

誰かの幸せを前に、自分の中の“欠け”が浮かび上がるからだ。


『誰かを祝う日⑤』は、

露葉の過去に深く刻まれた痛みと、

それを包み込もうとする龍賢の静かな勇気を描く章。


「優しさ」はときに、

相手を救うためではなく、

相手と同じ場所に立つためのものなのかもしれない。

――光は、暗闇の外ではなく、

暗闇の中でしか見えないから。



---


龍賢は迷うことなく露葉のスマホを取り上げ、そのまま耳に当てた。

「こんばんは。はじめまして。露葉さんと結婚を前提にお付き合いさせていただいています、釋龍賢と申します。ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ありません。」


「龍賢、やめて」露葉は慌てて立ち上がり、スマホを奪おうとする。

だが龍賢は一歩下がり、露葉をまっすぐに見据えた。


「あぁ、龍賢くんだよね!いやいや、こちらこそ。露葉がお世話になってるね。一度そっちに伺おうかと思ってたんだが、なにせ忙しくてねぇ仕事が。露葉もなんも言わんから。」

電話の向こうの声は妙に陽気で、しかしどこかだらしなさが滲んでいた。


露葉はあきらめたようにソファに腰を下ろす。

龍賢は言葉を区切るように、はっきりと答えた。

「来ていただくのは申し訳ないので、近いうちにこちらから伺います。失礼します。」

「はぁいは〜い。待ってるよ龍賢くん。」


通話を切ると、部屋に重い沈黙が落ちた。

露葉は大きくため息をつき、視線を落とす。

龍賢はゆっくり隣に腰を下ろし、穏やかに口を開いた。


「露葉。お父さんは、いつからお金を借りにきてるの?」


露葉は俯き、吐き出すように答える。

「二年前……母が亡くなってから。だから嫌だった。あんな父親、だらしなくて恥ずかしい。でも私はあいつの娘だから、あいつが纏わりついてくる……」


龍賢はその手にそっと触れ、柔らかく言った。

「親子だからって露葉とお父さんは別だよ。……露葉が恥じることは、何もないよ。」


「でも……」言いかけて、露葉は右手で左腕を押さえる。

その仕草を受け止めるように、龍賢も同じ腕に触れた。

「……痛かった?」

露葉は首を振る。

「クセなの。痒くなってくるの。……だから変な風に思わないでほしい。」

「変な風に?思うわけないよ。出会って一年以上経つのに、気づいてあげられなくて……ごめん。」


露葉は小さく首を振り、呟く。

「なんでそんなに優しいのかな……?私なんかに……。私みたいに取り柄もなくて、生まれた時から詰んでる人間より、龍賢には、もっと似合う人がいるのかもって…いつも思うの。」


露葉の瞳から涙が流れる。

龍賢は彼女の傷に指を滑らせながら、静かに微笑んだ。

「それは露葉から見た俺だろ?露葉の目を通さない俺はどう?」


露葉は驚いたように顔を上げる。

龍賢は続けた。

「クリスマスも誕生日も特別じゃない。毎日お寺にいて、ただ同じことの繰り返し。会う人と言ったら年配の檀家さんだけ。色気も洒落っ気もない。お世辞にも顔がいいとも言えないな…。普段は作務衣姿で、話すことといえば仏教のこと。似合う人どころか、むしろ断られるだろ。」


そう言って、肩をすくめるように笑った。


「そんなこと……」露葉は真剣な顔で見つめ返す。


龍賢は軽く息を吐き、目を細めた。

「いうほど俺、真っ直ぐでもない。ただ精神的に図太いだけ。優しくもないし、善人でもない。簡単に傷付きもしない。本当に真っ直ぐなのは露葉だよ。優しくて、繊細で、脆くて、悲しくて……綺麗。俺にもったいない。」


「私、違う……」露葉は震える声で否定する。


龍賢は彼女の左腕を撫で、言葉を落とした。

「……傷さえ、綺麗。露葉は自分が思うよりずっと魅力的だよ。気づかないからこそ、美しいのかもしれない。」


微笑む龍賢。その視線を受け、露葉も小さく微笑みを返した。

重たい夜の空気の中で、その一瞬だけ、確かな光が灯った。



---


露葉が「恥ずかしい」と言ったのは、

父でも、傷でも、過去でもなく、

“それでも生きてしまっている自分”だった。


龍賢はそれを赦そうとしたのではなく、

ただ「見た」。

そして「そこにいる」ことを選んだ。


人を祝うということは、

欠けたままでも、壊れたままでも、

“あなたがいてくれてよかった”と伝えること。


夜の奥で、二人の間に灯った小さな光は、

その言葉にならない祈りのようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ