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第251話『誰かを祝う日④』

雪の夜の静けさの中で、

「祝う日」はいつのまにか「赦す日」に変わっていた。


『誰かを祝う日④』は、

露葉という一人の女性の痛みの奥に潜む「生きるというごう」を描く章。

見つけてしまった傷。

隠そうとする心。

そして、届かない優しさの手。


龍賢が触れたのは、傷ではなく――

彼女がそれでも“生きてきた証”。

祝福の夜に垣間見えるのは、

人が人であることの、どうしようもない悲しみと、美しさ。



---


震える声で露葉が口を開いた。

「え…と、わたし、もう帰らないと…」


椅子をきしませて立ち上がろうとするその腕を、龍賢は思わず掴み、自分の方へと引き寄せた。

「やめて…」小さく抗う声が落ちる。


「露葉、ごめん。何も気づかなくて、ごめん。」


露葉の瞳が揺れる。

「なんで龍賢が謝るの?……私、」

呼吸を乱しながら、声を落とす。

「見ないで欲しい。」


龍賢はただ見つめ続けた。

「多分、見て見ぬふりをしてあげた方がいいんだと思う。でも俺は、知ってしまったら見て見ぬふりは出来ない。……ごめん。知らないふりなんて、出来ない。」


部屋に時計の音だけが響いた。

沈黙のあと、露葉はゆっくりと息を整え、か細く言った。

「恥ずかしいの。虚しくなるの……自分が惨めに思えてくる。」


「どうして?」龍賢は揺れる瞳を追う。


俯いていた視線を上げ、露葉は遠いものを見つめるように言った。

「龍賢はいつも真っ直ぐで……そういうところに惹かれたし憧れたけど、逆にそういうところが苦しくなる。迷いがない、真っ直ぐで、眩しくて、見ていて苦しい。」


龍賢は優しく目を細めた。

「それで?」

彼女の奥を覗き込むように、声を落とす。


露葉の瞳が潤む。

「それで……羨ましくて。私、後ろめたいことばかりなの。龍賢が羨ましくて。きっと――」

言葉が途切れる。


龍賢は流れ落ちた涙を指で拭い、そのまま頬に触れた。

「きっと……?」


露葉は震える手で龍賢の手に触れ、静かに吐き出す。

「きっと、それは生まれつき…御両親に大事に育てられたんだなって。私とは違うんだなって……私は、生まれた時から、詰んでる…。」


彼女は瞳を閉じ、息を整えながら自分の左腕に触れる。

その手に、龍賢もそっと重ねた――その瞬間、甲高い着信音が二人の間を裂いた。


露葉はバッグからスマホを取り出し、画面を見て一瞬ためらい、テーブルに伏せる。

「出ないの?」

「出たくない。」


切れては鳴る、執拗な呼び出し音。

観念したように露葉は電話に出た。


「……露葉か?良かった、出てくれて。ちょっとまた足らんくてな。」

低くくぐもった声。露葉はチラリと龍賢を見て、背を向ける。

「……いくら?」


「3万。今日……無理か?」

「また?」

「今月は色々お父さんも大変で……来月は良くなるから。すぐ返すから、貸してくれ。」


露葉は龍賢を振り返りそうになり、目を逸らす。

「……3万。わかった。今日は無理だから、明日……」


電話の向こうの声が途切れるたびに、空気の重さが増していった。


――父親。

露葉の口から何度か聞いたことがある。酒に溺れた父親の存在。


アスが言ってた。露葉の母が病床に伏していた時も、寄り添うことなく、露葉ひとりが背負っていたと…母親の呼吸器を外す同意まで彼女がひとり…。


彼女は何も悪くない。子供は親を選べない。

むしろ被害者だ。

でも、その親もまた、どこかで被害者だったのかもしれない。


……なら、この連鎖はどこから始まったのだろう。


龍賢の胸に、言葉にできない苦さが広がっていった。

人間の苦しみは、こうして繋がっていくものなのかもしれない――



---


人は誰も、物語の途中で生まれてくる。

その物語のはじまりを、自分では選べない。


露葉の傷も、彼女の父も、

そのすべては彼女の意志の外から始まったもの。

けれど、龍賢はその“外からの悲しみ”を、

初めて“共に抱える”ことを選んだ。


誰かを祝うことは、

その人の痛みを知ってもなお、隣にいることなのかもしれない。

そしてそれこそが――

ほんとうの意味で「祝う」ということなのだろう。

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