第246話『君と僕と弟④物語のある世界』
世界は、言葉の外側に広がっている。
それでも人は、言葉でそれを包もうとする。
「わからない」ままでは生きていけないからだ。
アスはその夜、ノートの前で考える。
弟の描いた丸や線の絵、
タケルと見た夕日の光。
それらを“ひとつの物語”にしようとする自分。
『君と僕と弟④ 物語のある世界』は、
「通じない」ということの中にある、
優しさとあきらめ、そして“つなぐ”という祈りのような行為を描く。
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その夜、アスは机に向かっていた。
窓の外には冬の星が滲み、シンと母の寝息が隣の部屋からかすかに聞こえる。
静かな空気の中で、アスはノートを開き、鉛筆を持つ。
白いページに書きかけの言葉がいくつも並び、ところどころで止まっていた。
――人はなぜ、物語をつくるのだろう。
アスはぼんやりと手を見つめた。今日の出来事を振り返る。
この手は、弟の髪を撫で、模型を直した。
そして今は、何かを「つなごう」としている。
ばらばらの出来事を線で結び、意味を探そうとしている。
机の上には、シンが描いた丸や線の絵が置かれていた。
言葉にならない世界の地図のようで、どこか宇宙の軌跡にも見える。
アスはその絵を見つめ思う。
――物語って、もしかして“理解の錯覚”なのかもしれない…
わからないことを“わかったつもり”にすることで、
人はようやく安心できる。
その錯覚の中で、痛みを包み、悲しみを順番に並べ、
世界を“ひとつ”にしようとする。
ページの上で鉛筆が止まる。
アスは静かに目を閉じる。
脳裏には、夕日に照らされたタケルとシンの笑顔が浮かんでいた。
共有できなかった光景。
でも、あの瞬間に“物語”をつくっていたのは、きっとタケルだけじゃない。
――ぼくも、あの時、ふたりを見て物語をつくってた。
アスは小さく息を吐いた。
鉛筆がまた動き出す。
言葉のひとつひとつが、さっきの光や呼吸や音をすくい上げていく。
書くたびに、世界が少しだけ温かくなる気がした。
“通じない世界を、通じさせようとする試み”
それがきっと、人間が“物語”を手放せない理由。
窓の外で、夜風がカーテンをゆらす。
アスはその音を聞きながら、静かに笑った。
誰にも届かないかもしれない。
でも、それでもいい。
物語をつくるということは、
届かないことを知りながら、それでも手を伸ばすことなのだから。
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物語とは、
現実をまとめるための仮の糸かもしれない。
けれど、
その糸があるからこそ、
人は世界を信じられる。
弟の描いた線も、
アスの書いた言葉も、
どこかで誰かの中に、
“まだ終わらない物語”として息をしている。
通じなさの中に、
それでも通じようとする願いがある。
それが、アスの、
そして私たちの“生きている”という物語なのだろう。




