第245話『君と僕と弟③重ならない世界』
同じ場所にいても、
同じ光を見ていても、
世界は少しずつずれている。
タケルには「夕日の綺麗な時間」があり、
シンには「光の動く時間」がある。
そしてアスには、その二つの世界のあわいで
静かに呼吸する時間があった。
『君と僕と弟③ 重ならない世界』は、
通じることと通じないこと――
その境界の静けさを描く物語。
「夕日が綺麗だね」
ソファに座っていたタケルが、退屈しのぎにパーカーのひもをつまみながら、指をさして小さく声をあげた。
髪に夕日が当たり、わずかに茶色に輝く。
指先と目の動き、ひもの揺れ、笑い声――すべてが冬の静かな光の中で小さく震えている。
アスは壁にもたれかかり、ポケットに手を入れたまま座っていたが、ふと足元に並べられたシンの絵本に目を向ける。
立膝をつき、そっと絵本の表紙に触れ、ページのざらつきを指先で確かめる。
視線はタケルとシンに交わり、微かに揺れる光の影に呼応するように止まる。
シンは模型の上で手を動かし、光の揺れに合わせてケタケタと笑う。
ページや模型に触れる指先が反射する光の小さな点となり、肩の揺れや呼吸のリズムが微かに室内に響く。
タケルは目を輝かせ、声を弾ませる。
「ほら、シンも喜んでるね!」
アスはシンの瞳のわずかな動き、手の触れ方、肩の揺れに目を細め、静かに理解する。
光の揺れに反応しているだけで、タケルが感じている夕日の温かさや美しさを、シンは共有していないことを。
アスは微笑み、静かに頷いた。
「そうだね」
タケルは夕日とシンの笑いを重ね、物語を作り、世界を共有したつもりでいる。
でもアスは知っている。
どれだけ見つめても、どれだけ想像しても、タケルにはシンの世界は理解できない。
共有できない孤独が胸にじわりと広がる。
きっと、この寂しさを抱えて、ぼくはずっと生きていくのだろう。
そしてシンは、そのことを知ることもない。
夕日が沈み、光が床に柔らかく溶ける。
模型の影が揺れ、シンのオウム返しのような声が小さく響く。
ページをめくる紙のざらつき、呼吸のリズム、手の微かな動き。
アスはそのすべてを静かに見つめ、共有できない世界線の孤独に、そっと息を吐いた。
夕日は悲しいほど綺麗で、光と影に包まれた室内で、アスは目を伏せ微笑んだ。
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「共有する」という言葉は、
本当はとても儚い。
同じ瞬間に笑っても、
見えている世界はそれぞれ違う。
それでも私たちは、
重ならないまま、隣に座りつづける。
アスが見つめたのは、
“通じないこと”そのものの中にある優しさ。
夕日の中で揺れる光は、
決して一つにはならないけれど、
それでも確かに――美しかった。




