第241話『執着の話③』
好きなものを手放せない気持ちは、
ときに優しさであり、ときに執着にもなる。
香りも、人も、思い出も——
心がそれに触れるたび、
少しずつ形を変えていく。
けれど、タケルとアスの会話は、
そんな“難しい心の仕組み”を
どこか軽やかに、そして子どもらしいユーモアで包み込む。
今回は、少し笑えて、少し切ない「執着の話」の終章。
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タケルは香水瓶をまた手に取り、今度はワンプッシュした。
ふわりと甘い香りが広がり、薄暗い部屋に淡い記憶の影が漂う。
「ねえアス、人を好きになるって、この香りみたいに手放せないって思っちゃうことなのかな。」
アスは揺れる香りの粒子を追うように指を動かした。
「そうかもね。安心や喜びを相手に重ねちゃうと、心はその香りを握りしめたくなるんだ。」
タケルは瓶を見つめて首をかしげる。
「でも、握りしめると苦しくなるよね。失ったらどうしようって。」
アスは窓の外を眺め、手をひらりと開いた。
「過去の思い出と未来の不安が重なって、『手放せない』って思い込むんだ。ほんとは心は、風みたいに自由なのにね。」
タケルは小さくうなずき、漂う香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「そっか。じゃあ…『手放せない』って思い込みが、執着なんだ。」
そのとき、背後から鋭い声が飛んだ。
「ちょっと!勝手に香水を触らないで!これ幾らだと思ってるの!」
振り向くと、お母さんが眉を吊り上げて立っていた。
タケルはあわてて瓶を机に置きながら言う。
「お母さん、香水に執着してない? 執着はよくないんだよ。」
するとお母さんはさらに怒って、香水をつかみ取った。
「執着する“金額”よ!」
そう言い捨てて、香水を持って部屋を出て行った。
残された香りだけが、まだ空気に漂っていた。
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執着とは、心が何かを“失いたくない”と思ったときに生まれる影。
でも、その影もまた、何かを大切に思った証拠でもある。
手放すことと、忘れることは違う。
心の中でそっと香りを残したまま、
風に委ねるように想いを漂わせていく——
それが「自由に愛する」ということなのかもしれない。
タケルの母のひとことが、
そんな哲学を少しだけ現実に引き戻してくれる。
香りも、愛も、お金も、
どれも人を動かす“執着”のかたちなのだから。




