第240話『執着の話②』
好きになるということは、
心が誰かの香りを覚えることに似ている。
ふとした瞬間にその香りが蘇り、
胸の奥をくすぐる。
それはやさしい風のようであり、
ときに抜け出せない渦にもなる。
タケルとアスの「執着の話」は、
香りをめぐって、
心の“自由”についての対話へと深まっていく。
「アス、じゃあさ、人を好きになるって、香りに心をとらわれるのと似てるのかな…?」
窓から差し込む夕方の光が、机の上の瓶を透かして柔らかく反射した。
アスはノートの端に小さな渦のような落書きを描き、ペン先を止めてから答えた。
「そうだね。好きという感情は、相手の存在を喜びながら漂える風のようなもの。でも心が相手に縛られると、執着に変わる。」
タケルは瓶の口元に顔を寄せ、頬に手を添えながら香りを吸い込む。
「執着になるとどうなるの?」
アスはゆっくり窓の外に目を向け、ペンを置いた。息を小さく吹きかけると、机の上に散った紙切れが揺れ、香りが空気にほどける。
「握りしめた花みたいに、心が一点に縛られてしまう。空間も時間も忘れて、自由に漂えなくなるんだ。」
タケルは黙ったまま、窓の外で揺れる木々を見上げた。枝の隙間からのぞく空は薄紫に変わりつつある。
「でも、ちょっととらわれるくらいなら嬉しい気もする…」
アスは微かに笑い、指先で光を切り取るように漂う空気を追った。
「うん。心が揺れるのは自然なこと。香りや好きな気持ちは、風に乗って自由に漂わせることも、握りしめることもできる。どちらにするかは、自分次第。」
タケルは瓶をそっと机に戻し、窓を少し開けて風を吸い込んだ。外の冷たい空気が部屋に流れ込み、カーテンがゆらりと膨らむ。
「自由に漂わせるって…なんだか少し怖い気もするな。」
アスは頷き、窓辺に差す光を指でなぞった。
「怖いのは、手放すことじゃなくて、手放せないと思い込むことかも。心はいつだって漂える。」
人を好きになると、
心はどうしても相手の方へ向かってしまう。
それは自然なこと。
でも、そこに“執着”が混ざると、
心は自分の中に閉じ込められてしまう。
風に乗せて香りを放つように、
想いもまた、
ひとところに留めずに漂わせることができる。
自由に漂う心は、
決して冷たいわけじゃない。
むしろ、その中にこそ
ほんとうの「好き」という温もりが
息づいているのかもしれない。




