第230話『夢と現実』
冬の匂いが街に忍び込む頃、タケルとアスはまだ寝ぼけたままの朝を迎えていた。
窓の外には淡い街灯の光が揺れ、街路を走る車の音が柔らかく響く。
眠気と夢の境目に漂うふたりの時間は、冬休みのはじまりの静けさに包まれていた。
駅前のロータリーに車が止まり、お母さんが窓を開けて手を振った。
「タケル、アスくんも一緒に乗っていって。家まで送るから」
二人は後部座席に座り、車が静かに走り出す。
タケルがぽつりと口を開いた。
「ねぇアス……昨日の話だけど、ぼく、目が開けられないくらい眠かったんだ。眠くて起きられない時って、ない?」
信号が赤に変わり、車は止まった。
運転席のお母さんがミラー越しにタケルを見て、少し心配そうに声をかける。
「大丈夫なの? 眠すぎて、倒れたりしない?」
タケルは軽く笑い、首を振った。
「お母さんは大袈裟だな〜。眠いだけだよ」
お母さんは小さく目を伏せ、微笑みながら前を向き直す。
「そう……」
タケルが「信号変わってるよ」と指摘し、車は再び走り出した。
アスは二人のやり取りを黙って見つめている。
しばらくしてタケルがまた口を開いた。
「でもさ、ああいう時って現実がどっちかわからなくなるんだ。夢を見てるのか、起きてるのか……どうしてかな?」
アスは窓の外を流れる街灯を見ながら答える。
「眠気が強いと、夢と目覚めの境目が曖昧になるからだよ。脳の一部はまだ夢の世界にいて、他の部分は現実を感じている。だから、どっちが本当かはっきりしなくなるんだ」
タケルは小さく息をつき、窓の外を見つめる。
「じゃあ、夢で感じたことも、本当のことって言えるのかな……?」
アスは少し笑って答えた。
「うん。夢でも、目を開けたときの現実でも、タケルが感じたことはタケルの世界の一部として存在している。だから、どっちも無駄じゃない」
タケルはふっと笑った。
アスはタケルを見つめる。
タケルは気づいて頭をかしげる。
「なに?」
アスは微笑み、やさしく言った。
「冬休みはまだまだあるから、また電車に乗ってどこかに行こう」
タケルは無邪気に笑い返した。
「うん。なら明日!」
お母さんがすかさず口を挟む。
「タケルは、明日病院でしょ」
タケルは少し誤魔化すように、「病院…えと…?ぼく、どこも悪くないし…行かなくても…」と言い、アスをチラッと見る。
アスは何も言わず、窓の外を見ている。
タケルは安心したようにため息をつき、お母さんに聞いた。
「…病院のあと、アスと出掛けていい?」
お母さんは優しく微笑み、頷いた。
「なら午後からね。電車は今度にして、お母さんが車で連れて行く〜」
タケルは「うん」と言ってアスを見た。
アスは小さく呟いた。
「海がいいな、一緒に」
タケルはにっこり笑い、車の中に柔らかな空気が流れた。
眠気の不思議も、現実と夢の境目の揺らぎも、しばらくは二人の静かな冬休みの始まりの中に溶けていくようだった。
車はゆっくりと家路を進み、街の景色は流れ続ける。
タケルの眠気も、夢と現実の曖昧さも、二人だけの小さな冬休みの思い出の一部として、静かに溶けていく。
それは、いつか思い出すとき、ふたりの世界の柔らかい光となって心に残るだろう。




